躁鬱の完治は諦めてます。

躁鬱歴15年&HSP。幸せを感じるのって難しい。

海外でのHSPの人付き合い

 

 

フランス語アレルギーになり、毎週行われるフランス人たちのパーティに頭を悩ませていた。

 

悪い人たちではなかったが、コミュニケーションが取れずに輪に入れないことが苦痛だった。

 

 日本人とでも人付き合いがなかなか上手くいかない私。

 

(この頃はHSPという言葉を知らず、こんな自分の性格を否定し、直したいと思っていた。)

 

1対1ならまだいいのだが、フランス人10人と私ではお手上げ状態だった。

 

そこで、フランス人達と仲良くなるきっかけされあれば、意外とみんなとうまくやっていけるかもしれないし、この孤独不安定な気持ちから脱出できるかもしれないと考えた。

 

ある日、彼に相談をした。

 

私「みんなフランス語ばかり話して私には何を話しているのかわからない。今度パーティをする時は、あなたの友達を私に紹介したり、話の仲介をしてくれない?」

 

彼「自分から話しかければいいじゃないか?そしたらみんな英語で答えてくれるよ。」

 

彼はあっさりと答えたが、これは彼が思うほど簡単な問題ではなかった

 

私よりも英語が下手なフランス人もいるのに、どうやってコミュニケーションを取れと言うのだろうか。

 

私には手助けが必要だった。

 

何度かお願いをしたが、状況に変化はなかった。

 

社交的で明るくおしゃべりなフランス人的気質からは、私の抱えている問題が理解できないのであろう。

 

私もできるなりに努力はしてみた。

 

みんなが来ると必ず顔を出したし、少し会話を続けようとしてみた。

 

しかしいつもなんだかぎこちなくて、パーティーはまだ続いているのにも関わらず、もやもやしながら自分の部屋に戻りベッドに入る。

 

私の部屋の隣からは、キッチンで騒ぐ彼らの声が夜中響いて聞こえる。

 

それを聞きたくないのでイヤホンを耳栓代わりにして、「なぜ私はうまくやれないんだろう。」と自己嫌悪に浸る

 

 

 

そんな中、たまにではあったがオーストラリア人もそのパーティに参加していた。

 

フランス人たちと英語で会話を楽しんでいた。

 

言葉の問題じゃなかった。

 

社交的な人間であれば、このパーティを楽しむことができるのだ。

 

よく考えればフランス人の彼は、オーストラリア人だけのパーティにもよく顔を出していた。

 

英語は完璧ではなかったが、何よりも社交的で人といるのが好きな人だった。

 

 

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私の1番の問題はフランス語を話せないことではなく、下手な英語を話して人にどう思われるか、トンチンカンなつまらない話をして嫌われるのではないかと心配することだった。

 

そればかり気にして、人付き合いをするのが怖かったし、人と話すことを楽しむことができなかった。

 

言葉がわからなくても、みんなと楽しめる人達はいる。

 

周りがフランス語ばかり話していても気にせず、わからないことは聞けばいいし、話したいことは話せばいい。

 

むしろ海外文化や英語を勉強したくてオーストラリアに来たのだから、日本語を使わないこの環境はいいのではないか。

 

そんなに苦痛に思うことではない。

 

頭の片隅ではこうポジティブに考えたいと思っていたが、鬱状態になるとネガティブにしか捉えることができなかった

 

もううんざり!フランス語アレルギー  

コミュニケーション能力の高い女の達の登場で、どんどん居場所がなくなっていくような気がした

 

それから間も無くして、ハウスメイトであるフランス人の彼氏が、友人のフランス人を5〜10人ほど招いて毎週のようにパーティーをするようになった。

 

陽気な彼らとの出会いは、思った以上に辛いものとなった。

 

英語での会話もなかなかついてはいけないが、知っている単語はあるので会話の内容は予想ができるし、ゆっくり話してもらえれば理解ができる。

 

しかしフランス語は無知なので、予測さえできない。

 

英語で彼らと挨拶してみるが、シャイな私はその後の会話がなかなか続かない。

 

英語が話せないフランス人もいたので、彼らと話すために仲介役が欲しかったが、彼氏はおしゃべりに夢中で私のことなど放置だ。

 

「ここはフランスか!?」と思う。

 

まるで私は蚊帳の外。

 

これほどまでに疎外感を味わったことは今までになかった

 

「そんなの気にしないで下手でもいいから英語で話せばいいのでは?」と思うかもしれないが、フランス人達のおしゃべりで元気なパワーに圧倒されて、その時の私にはそんな気力はなかった。

 

 

 

フランス人グループと会うのは週に一回ほどだったが、フランス系カナダ人の女の子とは毎日顔を合わせなければいけなかった。

 

その子とフランス人の彼はいつもフランス語で会話をしていた。

 

全く何を言っているのかわからないが、会話が弾んでいるようだ。

 

次第にイライラしてくる。

 

その会話を遮るように英語で彼らに話しかけ、彼らも一応英語で答えてはくれるが長くは続かない。

 

彼女である私よりも、彼氏はその子と会話している方が多く、楽しそうに見えた。

 

同じ場所にいるはずなのに、その2人と会話をすることができない。

 

私は透明人間みたいだった。

 

悲しみ、孤独、嫉妬、自己嫌悪、いろんな感情がごちゃ混ぜになっていた。

 

次第に私はフランス語を聞くと気分が悪くなるようになってしまった。

 

このアレルギーはこのシェアハウスを出るまでずっと続いた。


孤立とカルチャーショック


捨てる神あれば拾う神あり。

 

無職になってから一週間後、知り合いのツテで仕事を紹介してもうことができた。

 

こんなにすぐに仕事が見つかるなんて本当にラッキー。

 

今度は夫婦で経営している農家で働くことになった。

 

以前と比べて規模は小さいが、いろんな種類のフルーツを扱っていた。

 

テーブルを囲んで休憩やランチを取り、よくみんなでおしゃべりをした。

 

オーナーや同僚との距離が近かく、楽しく働くことができたのでしばらくは調子が良かった。

 

 

 

少し調子が悪くなってきたのは、シェアハウスの人の入れ替わりからだった。

 

オーナー2人はオーストラリア人カップル、ハウスメイト2人はオーストラリア人、1人はフランス人だった。

 

そのうち1人のオーストラリア人が引っ越し、代わりにドイツ人とフランス系カナダ人の女の子達が入居した。

 

今までもこの家に住んで文化の違いを感じたり、コミュニケーションがうまく取れずにフラストレーションを抱えてきたのだが、さらにそれがひどくなる。

 

ドイツ人とカナダ人はワーキングホリデーで来ていたのだが、英語の能力が私と比べ物にならないほど高かった。

 

西洋文化育ちなのでコミュニケーション能力も高い。

 

シェアハウスに溶け込むのも早かった。

 

おしゃべり好きな彼女たちは、キッチンで毎晩夜遅くまでみんなと会話を楽しんでいた。

 

アジア人とはノリが全然違う。

 

会話に入ろうとチャレンジしたが、何を話そうかと頭で英文を考えているうちに、会話がどんどん先に進んで、結局何も言えなくなってしまう。

 

黙って会話を聞いているだけ。

 

シャイで英語が上手く話せず輪に入れない私は孤立していく。

 

 

 

驚かされたのは、14時頃私が仕事から帰った時だった。

 

ドイツ人とカナダ人の女の子達が水着姿でキッチンの椅子に座って寛いでいた。

 

「家の中でなんでビキニなの!?」と困惑する私。

 

近くにビーチもプールもないのに、どうしたのかと聞く。

 

女の子2人『天気のいい日だから日焼けするのよ。』

 

と言って裸足で庭に出て行き、草の生えた地面に寝転んだ。

 

「確かに陽が当たって気持ちいいかもしれないが、地面に寝ころばなくてもいいじゃん。」と思う私。

 

しばらくして2人が家の中に戻って来ても水着のままで平気でみんなと話している。

 

ハウスメイトは男性もいるのに気にならないようだ。

 

女の私でも目のやり場に困るのに。

 

アジア人女性は美白を好み、日焼けを避ける。そして肌をなるべく隠すようにする。

 

西洋の女性は焼けた肌を好み、できるだけ日光を浴びる。そして肌を出すことに抵抗はない。 

 

当時外国人とあまり関わったことがなく、文化の違いを全く知らなかった私には理解不能だった。

 

私はこの子たちと仲良くなれないと感じた

 

 

将来について考える 〜躁鬱病で子供を出産するということ〜

躁鬱病になって13年。

 

いずれ子供を産みたいと考えているのだが、それにはいくつかの問題がある。

 

①妊娠中と授乳中に薬の服用ができない

 

妊娠中に気分安定剤などの薬を服用していると、子供に障害の出る可能性があると医師から聞く。

 

妊娠発覚後すぐに薬を辞めて出産した人もいるらしいが、基本的には薬は飲まない方が良いと言う。

 

しかし精神病で長年薬を飲み続けている人が、一年以上薬を辞めることはできるのであろうか?

 

はっきり言って今の私にはやっていける自信はない。

 

医師の指示通りに薬を毎日飲んでいても辛いことが多いのに、これをしばらく辞めるとなると生活していけないのではないかと思う。

 

中には妊娠中に入院する人もいるそうだ。

 

入院すれば毎日医師に会えるし安心だが、かなりコストがかかる。

 

9ヶ月間の入院費はいくらになるかと考えると頭が痛くなる。

 

②病気の遺伝の可能性

 

精神病の発症原因は50%が遺伝、50%が環境だと聞いたことがある。

 

躁鬱病の私から生まれた子が精神病になる確率はとても高くなる。

 

子供には私のように苦しんでほしくない。

 

必ず病気になるとは限らないが、こんな躁鬱病の遺伝子を持った私が子供を産んで良いのかと考えてしまう。

 

③産後鬱の不安

 

産後鬱の割合は10%と言われている。

 

躁鬱病を持つ私はほぼ確実に鬱になるような気がしているので、すでに気が重い。

 

鬱状態の時の育児

 

愛情を持って子供を育てることはできると思うのだが、鬱状態になった時に子供に迷惑をかけてしまうのではないかと思ってしまう。

 

いつも明るく楽しい母でありたい。

 

⑤不安定な経済状況

 

私は働かなくても生きていけるようなお金持ちの家庭ではない。 

 

まともに働けていないことが多く、自分1人でも経済的な不安があるのに、子供を養っていけるのか心配になる。

 

 

 

責任を持った親になるなんて簡単なことではない。

 

精神病を抱えた女性はどのようにして子供を出産し、育児をしているのかとても興味がある。


 

 

寝耳に水!理不尽な解雇で無職に・・・

 

10月、オーストラリアは春になり、再び農業の仕事が始まった。

 

以前は果物の箱詰めをしていたのだが、これからは果物の若い実を間引きする。

 

リンゴの木にたくさんの小さな実ができるのだが、1つの枝に1つか2つ実を残してあとを取り除く。

 

こうしないと大きく立派な実にはならないらしい。

 

木は3〜4mあるので、上の方は大きな脚立に登って間引きをする。

 

手が届かなくなったら下に降りて、脚立を2メートル程移動させて、またそれに登っていらない実を切り落とす。

 

これを永遠と繰り返す。

 

今まで農業に全く興味はなかったが、新しい体験だったし、黙々と作業できるこの仕事が結構気に入っていた。

 

そして同僚とも仲良くやっていると思っていた。

 

 

 

仕事を始めて2週間ほどして、職場のオーナーからメールが届いた。

 

「マネージャーからあなたの話を聞きました。仕事が遅く、効率よく働けていないので解雇します。」

 

え??寝耳に水だった。

 

仕事を再開して間もないのにクビ!?

 

まだ慣れてないのに早く仕事ができるばずがない。

 

というか、いつも一緒に働いているマネージャーにそんなこと一言も言われたことがない。

 

これが人生で初めての解雇宣告だったのでショックだった。

 

とりあえずオーナーに直接抗議しようと思った。

 

農園の一画にあるオーナーの家に行く。

 

オーナーに会うのはこれで3回目だ。

 

普段は滅多に顔を会わせることがないので緊張する。

 

私「確かに私の仕事は遅かったかもしれませんが、まだ始めたばかりだし、マネージャーからは何の注意もされたことがありません。もしマネージャーに遅いと言われても直らないのならば仕方ありませんが、今回は納得いきません。」

 

オーナー「マネージャーはあなたに言っても仕事が遅いままだと言っているの。忠告しても直らなかったから辞めてほしいの。」

 

涙が溢れた

 

マネージャーは私に「もっと早くしなさい。」など一言も言わなかったと何度も伝えたが、

私の英語が下手で言いたいことが上手く言えない。

 

突然無職になった私は泣きながらシェアハウスに帰った。

 

その話をフランス人のハウスメイトにする。

 

フランス人「なんだそのマネージャーは!なんで急に解雇するんだ!!そんなやつ気にするな!!そんなところ早く辞めて良かったよ!!そんな所で働かなくていい!!」

 

とメソメソと落ち込む私の代わりに、彼が怒った。

 

「早く辞めて良かった。そんな場所で働いてやるもんか。」と思う強気な性格が少し羨ましかった

 

私は解雇にがっかりした反面、自分の仕事ぶりが悪かったせいもあるかもしれないと自分に非を感じて、それほど怒りは湧いてこなかった。

 

それよりも悲しみの方がはるかに強かった

 

 

 

しばらくして、クビになった農家で同僚だった日本人と話す機会があった。

 

私が辞めた後すぐに台湾人の女の子達を採用し、マネージャーが熱を上げているらしい。

 

マネージャーはマレーシアからの移民で、40歳くらいの独身男性だった。

 

実は数ヶ月前まで私とマネージャーは友人として仲が良かった。

 

いつも数人でドライブしたり、一緒にご飯を食べたりしていた。

 

それにも関わらず、急に解雇された時はショックだった。

 

同僚曰く、マネージャーは新しく女の子を雇用したかったらしい。

 

仲が良かった頃に一緒に遊んでいた女の子が引っ越し、さらに私に彼氏ができたことを知り、もう私は用無しになったようだ。

  

私を解雇した後は、仕事の後や週末までその新人の女の子達にストーカー並みにべったりしているらしい。

 

『若くて可愛い、彼氏のいない女の子と一緒に働きたい。』

 

マネージャー本人と話したわけではないが、これが私を解雇した大きな理由だと思った。

 

こんな理不尽な雇用と解雇はきっと今回だけでなないと思うし、他にも彼についての苦情も多々聞いていたが、なぜオーナーはマネージャーを辞めさせないのだろう?

 

毎年ワーキングホリデーで農業をしたい外国人はいくらでもやってくる。

 

しかしオーストラリアの山奥で長年農家のマネージャーをしてくれるオーストラリア人は少ない。

 

そして彼はマレーシア出身なので英語と中国語を話し、更に少し日本語も理解できるので、ワーキングホリデーでやってくるアジア人達とコミュニケーションが取れる。

 

オーナーにとっていくらでも替えの効く外国人よりも、マルチリンガルで長年働いてくれるマネージャーの方が大事で手放せないのだろう。


 

カウンセリングって効果あるの!?

シドニー在住の日本人心理カウンセラーと話すことができて、少し気持ちが楽になった。

 

 

定期的にカウンセリングに通って思考のトレーニングをしたほうがいいと勧められたが、シドニーを離れて山の中のシェアハウスへ戻ると決めていた。

 

時期が来れば以前働いていた農家でまた働くことができる。

 

また一から農家を探す気力は無かった。

 

オンラインでもカウンセリングをしているらしいが、直接カウンセラーに会って話をしないと意味がないように思えた。

 

そして日本でもそうだが、カウンセリング料金は基本的に保険が効かないので高額だ。

 

頻繁に通い続けられる料金ではない。

 

シドニーには3週間の滞在予定だったが、それから更に2度程カウンセリングに通ってから辞めた。

 

 

 

その後、何事もなかったようにメルボルンを旅行し、元いたシェアハウスへ戻った。

 

ラッキーなことに間も無くして農業の仕事も始まった。

 

しかし順調に行ったのも少しの間だけだった。

 

鬱の波はすぐにやってきた。

 

やはりカウンセリングに数回通っただけでは鬱症状は全く改善しなかった

 

 

 

1回のカウンセリングは意味がないとは言わない。

 

気持ちを吐き出し、人に聞いてもらうことで楽になる。

 

だが一時的な対処であって、持続はしない

 

継続的な効果を得るためには、カウンセリングで自分自身をうまくコントロールできるように思考のトレーニングが必要だ。

 

鬱になることは避けられないが、鬱を長引かせないようにすることはできる。

 

長年染み付いた鬱の思考は手強く、いくらカウンセラーがアドバイスをくれてもすぐに実行することは難しい。

 

何事も同じで、繰り返し練習することが必要。

 

それができるようになれば鬱状態の期間も短くなり、気持ちが少し楽になる。

 

だからカウンセリングに定期的に通い続けることが大事なのだ。

 

カウンセラーとの相性や金銭的な問題もあり、私は現在はカウンセリングに通っていないが、鬱を悪化させないための1つのいい手段だと思う。


海外で心理カウンセリングを受けてみる

 

 

誰にも頼れず、どうしようもないこの気持ちをなんとかするには、専門家に頼るしかない。

 

そう思った私は、シドニーで日本語が通じる医療機関を探し始めた。

 

オーストラリア人の精神科医に日本人通訳者を付けて診察を受けることは可能だが、それではなんだかうまく伝わらないと思った。

 

この感情をちゃんと伝えて、しっかりとアドバイスを受けるには、日本人医師でないといけなかった。

 

しかし、当時シドニー在住の日本人医師を見つけることができなかった。

 

その代わりに日本人の心理カウンセラーを発見した。

 

今まで日本でもカウンセリングを受けたことはなかったが、藁にもすがる思いでコンタクトを取り、すぐにその人に会いに行った。

 

 

 

シドニーの街中のビルの一室にカウンセリングルームがある。

 

そこで日本人カウンセラーが待っていてくれた。

 

部屋を見渡すとそこには日本語の本や、日本を思い出させるような置物などがあった。

 

あれだけ日本を出たいと思っていたのにも関わらず、数ヶ月ぶりに日本を感じてなんだかホッとした。

 

簡単に病歴、家族構成、いつオーストラリアに来たかなどを話す。

 

今回相談したい内容を話す前から涙が溢れてくる

 

「あ、また人前で泣いてしまった。恥ずかしい。」と思うが、涙が止まらない。

 

ティッシュをもらい、流れ続ける涙を拭きながら本題を話す。

 

  • 初めての土地でなかなか仕事が見つからずに焦っている。
  • 今まで住んでいたシェアハウスに日本人やアジア人がおらず、文化の違いや英語でうまくコミュニケーションを取れないことにストレスを感じている。
  • 大好きな旅行さえも楽しめず、体が思うように動かない。

 

「そうね。それは辛いわよね。」

「あなたはまだ日本から来たばっかりなのだから、すぐに英語をうまく話せなくて当たり前よ。」

 

カウンセラーが相槌を打ったり、共感してくれる。

 

そして鬱になった時の考え方を教えてくれた。

 

今の自分の鬱の気持ちを認め、少し離れて物事を考えてみる

 

言い換えると、辛い気持ちだけに集中しないで、一歩離れて状況を見てみるとものの捉え方も変わってくるかもしれないということだ。

 

 

<例>

 

英語が話せなくて、オーストラリア人とコミュニケーションが取れなくて辛い。疎外感を感じる。

 ↓

まだオーストラリアに来たばっかりだし、英語が話せないのは当たり前。彼らも私が英語を話せないのをわかっているので、わかりやすく説明してくれる。彼らが私を無視しているわけでなく、私が自分で疎外感を感じているだけ。

 

 

あたり前の考え方だと思うかもしれないが、鬱になると辛い気持ちばかりに集中しすぎてしまい、他の考え方ができなくなる。

 

長年染み付いて来た鬱の思考がすぐに治るわけではないが、誰かに悩みを話すことで気持ちが楽になった気がした。

 

 

 

一瞬の躁転と楽しめない旅行

鬱状態から、躁状態に切り替わった私が決めたのは、 シドニーメルボルンに1ヶ月間1人で観光することだった。

 

オーストラリアの山奥で農業の仕事が始まるまで、少なく見積もっても2ヶ月間はかかる。

 

そんな無駄な時間は過ごしたくなかった。

 

国内旅行といってもオーストラリアは土地が広いので国内線も高い。

 

往復の航空費は10万円程。

 

いくら安価なホステルで泊まったとしても、1ヶ月分だと7万円以上。

 

それに加えて食費や観光費を合わせると合計25万程になる。

 

大きな出費だったが、じっとしていられなかった。

 

物価が高くてお金がなくなることを心配していたのに、コロっと気持ちは変わっていた

 

 

 

シドニーでの一人旅はとても楽しかった。

 

初めて見るものばかり。

 

今まで住んでいたオーストラリアの山奥とは違って、観光する場所がたくさんある。

 

自由気ままに観光して、疲れたらホステルに帰る。

 

そしてガイドブックを見ながら、次の日のプランをざっくりと立ててから寝る。

 

さらに気の合う友人もできて、一緒に食事に行ったりもした。

 

しかし楽しい毎日は続かなかった。

 

躁転はすぐに終わり、また鬱の波がそこまで来ていた

 

 

 

毎日なんのストレスもなく楽しく過ごしていると思っていたのだが、ある日の朝なかなか起きることができなかった。

 

目が覚めるのだが、体が動かない。

 

起き上がって行動できるのはお昼頃になってから。

 

少し疲れてしまっただけかと思ったが、それが何日も続いた。

 

丸一日ベッドに横になっていた日もあった。

 

シドニーに観光に来ているのに、何をやってるんだろう・・・。

 

時間を有効に使いたかったのに、一日中寝てるなんて勿体無い!

 

そう思ったが、体はなかなか言うことを聞いてくれない。

 

なんだかこの感覚、覚えがある。

 

大学生で留年した時のことを思い出した。

 

学校に行きたいのに、その気持ちとは裏腹に体が動かず、引きこもりになったことがある。

 

躁状態は長くは続かず、また鬱状態に引きずり込まれたようだ

 

楽しいことをしているはずなのに楽しめない。

 

なんでこの状況で鬱を感じるんだ!?

 

異常だと思った

 

近くに頼れる人がいるはずもない。

 

追い込まれた私がしたのは、シドニー在住の日本人心理カウンセラーを探すことだった。

 

 

  

躁鬱病の私がワーキングホリデーで海外に行った理由

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ワーキングホリデーで海外に住むことを決めた理由はいくつかある。

 

  1. 帰国子女の友人の影響
  2. 海外の文化や音楽への興味
  3. 失って困るような職がなかったこと
  4. 自分を変えたいという願望

 

帰国子女である友人の価値観は、私が今まで考えたことのにようながことばかりで驚かされた。

 

日本の田舎の小さなコミュニティでしか暮らしたことのない自分の視野の狭さに気づく。

 

邦楽よりも洋楽が好きで、英語を理解したいと思うようになった。

 

英語の勉強をすればするほど、より海外で暮らすことに憧れを持つようになる。

 

日本で正社員として就職したことはないし、いくつかの場所でアルバイトしたが、何1つやりがいを感じたり楽しいと思える仕事がなかった。

 

日本の仕事を辞めてもダメージは1つもなかった。

 

その中でも1番の理由は、自分を変えたいという強い願望だった。

 

小さなことを気にしすぎる私の今いる環境がいけないんだ。

  

日本から脱出すれば何か変われるかもしれない。

 

ポジティブで陽気な人の多い国に行けば、ネガティブな自分の性格を変えられるかもしれない。

  

環境が変われば躁鬱病も良くなるかもしれない。

 

躁鬱病で鬱ばかり感じる人生なんて嫌だ。

 

新しい自分に生まれ変わりたい!

 

 

 

結果論としては、20年以上日本で生まれ育ち、躁鬱病HSPの気質を持つ自分が海外に住んだからといってガラっと変えることはできなかった。

 

当時は病気の改善方法が全く分からず、「病気の改善=海外で暮らすこと(環境変えること)」と無理やり結びつけていたが、そんなに簡単なことではない。

 

日本にいても海外にいても鬱の波は定期的にやってくる。

 

外に出られなくなったり、泣いたりすることがある。

 

仕事の失敗や不安が、頭から何日も離れなかったことが数えられないほどある。

 

 ただ、大きくは自分を変えられなかったが、少しだけ変わったことがあった。

 

いろんな国の人との出会いで視野が広がり、良い悪いは置いておいて、広く物事を考えられるようになった。

 

あとは日本では体験することのないような経験を積んだことだ。

 

 以前よりも少し自分の心がタフになった気がする


オーストラリアで初めての鬱

無事にワーキングホリデー(ワーホリ)ビザでオーストラリアに到着し、最初は調子が良かった。

 

仕事を積極的に探し、オーストラリアに到着して1週間後にはもう働き出していた。

 

職場は中国人ばかりが働く農家だった。

 

(※当時オーストラリアのワーホリは通常1年間だが、農業を3ヶ月すると最長2年間までビザの延長ができた。)

 

同僚はいい人たちだったが、中国語ばかりを話す環境や賃金に不満を感じて1ヶ月で仕事を変えた。

 

私はより良い環境を求めてアグレッジブに行動していた。

 

2つめに得た仕事も農業で、同僚はニュージーランド人、マレーシア人、韓国人と多国籍だった。

 

給与も以前よりいい。

 

仕事を始めた時は7月。オーストラリアでは冬が始まったところだった。

 

仕事はすぐになくなり、次にいつ仕事が再開するのかわからない。

 

他の農家を探したが、どこも雇用はしていなかった。

 

早く農業を終わらせないと、ビザの延長期限が過ぎてしまうし、他の都市へ移動できない!

 

山奥にあるシェアハウスに住んでいたので、周りにレストランなどの働ける場所もなく、ここにいれば何もすることなくただ食費にお金を使うだけ。

 

英語がうまく話せない私は、シェアハウスの住人と打ち解けられずにいた。

 

インターネットも最小限しか使えず、友人に電話をして長話することもできない。

 

そして仕事探しで体力と気力も無くなっていた。

 

どーんと鬱の波がやってくる。

 

仕事もしないで何のためにオーストラリアに来たんだろう。

 

働きながら生きた英語を学びたかったのに。

 

物価が高くてお金がなくなってしまうかもしれない。

 

山奥には気を晴らすものもなく、焦りと不安が募っていくばかり。

 

・・・・・

 

しばらくして、1ヶ月間のオーストラリア国内旅行を決めた。

 

これも躁転と言うのかもしれない・・・。