誰にも頼れず、どうしようもないこの気持ちをなんとかするには、専門家に頼るしかない。
そう思った私は、シドニーで日本語が通じる医療機関を探し始めた。
オーストラリア人の精神科医に日本人通訳者を付けて診察を受けることは可能だが、それではなんだかうまく伝わらないと思った。
この感情をちゃんと伝えて、しっかりとアドバイスを受けるには、日本人医師でないといけなかった。
しかし、当時シドニー在住の日本人医師を見つけることができなかった。
その代わりに日本人の心理カウンセラーを発見した。
今まで日本でもカウンセリングを受けたことはなかったが、藁にもすがる思いでコンタクトを取り、すぐにその人に会いに行った。
シドニーの街中のビルの一室にカウンセリングルームがある。
そこで日本人カウンセラーが待っていてくれた。
部屋を見渡すとそこには日本語の本や、日本を思い出させるような置物などがあった。
あれだけ日本を出たいと思っていたのにも関わらず、数ヶ月ぶりに日本を感じてなんだかホッとした。
簡単に病歴、家族構成、いつオーストラリアに来たかなどを話す。
今回相談したい内容を話す前から涙が溢れてくる。
「あ、また人前で泣いてしまった。恥ずかしい。」と思うが、涙が止まらない。
ティッシュをもらい、流れ続ける涙を拭きながら本題を話す。
- 初めての土地でなかなか仕事が見つからずに焦っている。
- 今まで住んでいたシェアハウスに日本人やアジア人がおらず、文化の違いや英語でうまくコミュニケーションを取れないことにストレスを感じている。
- 大好きな旅行さえも楽しめず、体が思うように動かない。
「そうね。それは辛いわよね。」
「あなたはまだ日本から来たばっかりなのだから、すぐに英語をうまく話せなくて当たり前よ。」
カウンセラーが相槌を打ったり、共感してくれる。
そして鬱になった時の考え方を教えてくれた。
今の自分の鬱の気持ちを認め、少し離れて物事を考えてみる。
言い換えると、辛い気持ちだけに集中しないで、一歩離れて状況を見てみるとものの捉え方も変わってくるかもしれないということだ。
<例>
英語が話せなくて、オーストラリア人とコミュニケーションが取れなくて辛い。疎外感を感じる。
↓
まだオーストラリアに来たばっかりだし、英語が話せないのは当たり前。彼らも私が英語を話せないのをわかっているので、わかりやすく説明してくれる。彼らが私を無視しているわけでなく、私が自分で疎外感を感じているだけ。
あたり前の考え方だと思うかもしれないが、鬱になると辛い気持ちばかりに集中しすぎてしまい、他の考え方ができなくなる。
長年染み付いて来た鬱の思考がすぐに治るわけではないが、誰かに悩みを話すことで気持ちが楽になった気がした。