躁鬱の完治は諦めてます。

躁鬱歴15年&HSP。幸せを感じるのって難しい。

軽躁状態で急に決めたフランス旅行

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ハワイ旅行から日本に帰り、すぐにヨーロッパ行きのフライトに乗った。

 

これからワーキングホリデービザで6ヶ月ほど滞在する予定だった。

 

私は異国での新生活期待をしていた。

 

 

 

ハワイ旅行から少々体調を崩していたのだが、なかなか回復はしなかった。

 

新しい土地なので知り合いはほぼいない。

 

友人は1人いたが、彼女は仕事で忙しくてあまり会えなかった。

 

新しく仕事を探す気もなんだかでてこない。

 

気だるい日が何日も続いた。

 

 

 

こんな時は家でゆっくりとした方がいいのだが、せっかくヨーロッパに来たのに何もしないわけにはいかなかった

 

急に思い立ったようにフランス人の友人と連絡を取り、フランスにある彼女の家に1週間行くことを決めた。

 

そう、オーストラリアで出会ったあのフランス人の女の子だ。

 

元気が有り余りすぎて夜眠れないほどエネルギッシュで、強烈なキャラクターの子だ。

 

国は違えど、せっかく同じ大陸にいるのだから会いに行きたい。

 

こんな機会は滅多にない。

 

彼女の両親は農業をしており、フランスの小さな村に住んでいる。

 

彼女の家の近くに空港がないのと、旅費削減のためにバスを利用することにした。

 

一週間分の荷物が入った大きなバックパックを持って、バスで国境を超えてパリで乗り換えをし、フランス西部の中規模の都市でバスを降りた。

 

その後はバスがないので、事前にネット上で約束しておいたした人とカーシェアーをして(カーシェアアプリを利用)、彼女の家の近くの小さな町に着く。

 

そこまで彼女が車で迎えに来てくれて、それから彼女の家へと向かった。

 

私も田舎出身だが、比較しようもないほど彼女の家はもっと田舎にあった。

 

車の窓から外を見渡すと、高い山はなく平地がずっと続いていて、見渡す限り麦畑のようなものしか見えない。 

 

やっと彼女の家に到着した。

 

トータルで片道20時間程だったろうか、かなりの長旅になった。

 

体調があまり良くなかったが、なぜか行動力はあった。

 

 

 

彼女は相変わらず元気いっぱいだった。

 

音楽、最近気になる人のこと、家族のこと、フランスの食文化、難民問題までたくさんのことを話してくれた。

 

そして毎日のように家族や親戚、友人を紹介してくれた。

 

フランスの超田舎町だったので、会う人会う人が日本人である私を珍しそうに見ていた。

 

そして「日本人にあったのは人生で初めてだよ。」と言われることが多かった。

 

イベントに行ったり、キャンプをしたり、観光したり、いい思い出ができた。

 

少し疲れていたが、彼女の周りの人がいい人たちばかりだったので大きな鬱にはならなかった。

 

疲れて人に会いたくないとも思わなかった。

 

エネルギーを使い果たして、帰りのバスの中ではぐっすり眠って家に帰った。

 

 

 

躁状態で決めた旅行だったかもしれないが、それにしてはうまく大きな鬱を避けて気分転換ができたと思う。

 

今回はうまく行って良かったのだが、やっぱり鬱は定期的にやってくる

 

『うつを見つめる言葉』オススメの本

最近鬱状態が長く続いている。

 

そんな時に図書館に行って目につくのは、鬱に関する本ばかり。

 

こないだ読んだ本を紹介したい。

 

 

 

 

『うつを見つめる言葉』曽野綾子

 

いろんな本から選んだ名言集という感じ。

 

びっしり文字が書いてあるわけではないので、読みやすい。

 

この本には一切「うつ」という言葉は出てこないが、鬱の人を励ましてくれる。

 

いくつかフレーズをピックアップしてみた。

 

 

 

自分が相手からどう思われているかなどということは、人生でさしたる問題ではない。(『生きるための闘い』)

 

自分は、他人に簡単にわかられてしますほど単純な人間ではない、と考えるのも1つの手である。(『人びとの中の私』)

 

私はこの世で、不誠実ということも、時には誠実と同じくらい重要だと思うことがある。(『ほんとうの話』)

 

自分にもわかりにくい自分の本当の姿を、どうして他人がわかることができよう。(『人びとの中の私』)

 

何よりも、自分の不幸を特別なものだと思わないようにすることが肝心なのではないかと、私はいつも自分に言い聞かせることにしている。(『まず微笑』)

 

辛い体験をすることのメリットは実に大きい。人間はそれで自信をつける。怖いものが、完全になくなりはしないが、少なくとも少し減るのである。(『教育の論点』)

 

私はこの頃、「あるがまま」ということの意味を次第に大きく感じるようになって来た。(『悲しくて明るい場所』)

 

人間は無限に変わる。(『至福の境地』)

 

 

 

以上が今の自分に響いた言葉だった。

 

他にもいいなと思うフレーズがたくさんあった。

 

しばらく時間をおいて読むときっと別の言葉が自分を励ましてくれると思う。

 

初めてのハワイ旅行なのに楽しめない!? 〜楽しさと後悔の間〜

念願のハワイの旅行初日、私も母もテンションが上がっていた。

 

ハワイは色んなテレビや雑誌で取り上げられてイメージはかなり湧いていたのだが、想像をはるかに上回るほど素敵な場所だった。

 

オーストラリアの海の色も綺麗だったが、ここはまた違った色で綺麗だった。

 

 

 

 

日本で忙しくしていたせいか、2日目には少しずつ疲れが出始めた。

 

疲れてくると心に余裕がなくなる

 

プライベートツアーに参加する予算はなかったので、5〜20人くらいの日本人観光客と一緒に参加する現地ツアーを予約していた。

 

ハワイは観光業で成り立っていると言うだけあって、ツアー先にはどこにもたくさんの観光客で埋め尽くされていた。

 

場所にもよるのと思うが、自然豊かでのびのびとしたハワイのイメージとはちょっと違い、思ったよりも窮屈に感じた。

 

 

次第に人混みに対してイライラしてくる。

 

オーストラリアの静かな田舎に長く住んでいたせいだろうか、人の声が耳障りだ。

 

特に小さな子供の声がダメだった。

 

彼らに悪気はないのはわかっているのだが、どうにもこうにも機嫌が悪くなっていく。

 

さらにハワイは日本人に人気の観光地なので、どこへ行っても日本語が聞こえてきて外国という感じがあまりしない。

 

「せっかくアメリカに来たのになんでこんなに日本語ばかり聞かなきゃいけないんだ。」

 

とその点に関してもイライラしてしまう。

 

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4日目は買い物をする日と決めていた。

 

調べ物が途中になってしまった歪みがでてくる。

 

行きたいショッピングモールは決めていたのだが、お土産として何を買うかをあまり調べてなかったのだ。

 

その場で急いで人気のお土産を調べる。

 

なんとか購入できてホッとしたと思いきや、後になって同じ商品でも別の店の方が安かったり、クーポン券が使えたりと特典が多かったことに気づいた。

 

私はケチなので、クーポン券の利用やどのクレジットカードで買えばポイントが貯まりやすいかなど、普段からお金の使い方にこだわっている。

 

効率の良い買い物をしてお得に商品が出に入ると嬉しい。

 

逆にうまく買い物ができないと気持ちが沈む。

 

調べ物を中途半端にしたまま旅行に来て、下手な買い物をしてしまった自分に嫌気がした

 

 

 

旅行最終日、楽しかったという気持ちが半分、後悔する気持ちが半分だった。

 

「あれも買っておけば良かったな。」「あそこも行きたかったのにもう時間がない。」といろいろと思いだして、なかなか来れない場所なのにこんな適当な旅行計画を作ってしまったと自分にがっかりする。

 

たかがそんな事なのだが、なんでも完璧にこなしたい私には大きな失敗のように感じてその後なかなか忘れることができない。

 

 

 

「準備不足はあったけれど、母も楽しんでいたし楽しい旅行だった!」 とポジティブに捉えられるようになりたい。

 

 

初めてのハワイ旅行が楽しめない!? 〜終わらない調べ物〜

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私と母は2ヶ月後にハワイ旅行に行くことにした。

 

全ての計画が組まれている団体旅行のようなパッケージツアーは好きではない。

 

自分たちで自由に計画を立てられるように、ホテルや現地ツアーを1つ1つ比較しながら決めることにした。

 

選択肢がたくさんあるので選ぶ楽しみはあるのだが、その分時間はかかる。

 

初めてのハワイ旅行なので、ワクワクしながら現地ツアーやホテル選びをしていた。

   

 

 

今考えただけでも、時間がなくてバタバタしているのが目に浮かぶ。

 

私はその時オーストラリアにいて、1ヶ月後に日本に帰国、そのまた1ヶ月後に5日間のハワイ旅行、ハワイから日本に戻り空港で1泊してからそのままワーキングホリデーのためヨーロッパに行く予定だった。

 

なのでハワイ旅行計画をすると同時に、日本での予定を決めたり、次のワーキングホリデーの準備をしていた。

 

私の性格上、物事は調べ尽くさないと気が済まないし、準備をしっかりして効率よく行動したいと考えていた。

 

だが実際の私は要領良くこなせないので、何事も人一倍時間がかかる。

 

より良い方法があるのではないかと思い、情報をずっと検索し続けて、ちょうどいいところで止めることができない。

 

例えばいくつもの会社が似たようなツアーをしていたとする。時間・内容・価格を比較し何日もかけて検討する。

 

時間をかけて決断しかけた時に、「もっと調べればより良い条件のツアーがあるかもしれない。」「やっぱり午前のツアーではなくて、丸一日のツアーがいいのではないか。」と思い出して、調べ物は永遠と続く。

 

調べ物が中途半端になると、もっと調べておけば良かったと後悔が頭にずっと留まって気持ちが沈むことがよくある。

 

   

 

日本に帰ってからはやはり忙しかった。

 

心療内科・歯医者・皮膚科・運転免許センター・市役所へ行ったり、しばらく会えていなかった友人に会ったり、毎日のように忙しなく外出した。

 

時間にゆとりは無く、結局自分が納得できるまでハワイに関する旅行情報は調べることができなかった。

 

もちろん次のワーキングホリデー先のことも調べは不十分だった。

 

 

HSPの小学生時代 〜団体行動と自分の意見〜 

 

思い起こせば小学生の頃。

 

毎年夏休みには友人と一緒に、ミステリー列車という子供向けのツアーに参加していた。

 

なんだか怪しげな名前だがこのツアーの目的地は知らされておらず、どこに行くのかは着いてからのお楽しみ、という小学生にはワクワクするものだった。

 

大抵の場合は遊園地へ行くことになっている。

 

夏休み前になると子供達はソワソワしだす。誰とグループになって、ツアーに行くか決めなければいけない。

 

いつも同じ町内の女の子達とグループを組んでいたが、毎年多少のメンバー交代がある。

 

「A子も連れて行こう」

「B子は嫌いだから一緒に行きたくない」

「C子とD君は付き合ってるから一緒のグループね」

 

など、小学生にとっては夏休みの楽しい思い出を作るための大きな議論だ。

 

私は少人数で行動することを望んでいた。というのは大勢だと意見がまとまらないし、めんどくさいからだ。

 

だが私のグループには苦手なE子がいた。わかりやすく言うと、女版ジャイアンというイメージ。 

 

面白い子なのだがいつも自分の意見を突き通して、周りの意見を聞かない。さらに毒舌でよく人を攻撃した。いじめまでではなかったが、E子に何か言われるのが怖かった。

 

私は自分の意見を言うことが苦手だし、言ったとしてもその意見は通らない。E子といると全て決められて、それに従うしかない。

 

今思うと嫌いな子と付き合う必要はないのだが、小学生だった私は田舎の小さなコミュニティに住んでいて、他に選択肢がなかった。今いるグループでうまくやって行かなければいけないと思い込んでいた。

 

少人数を希望してみたのたが、いつも通りE子が意見を押し通した。彼女が気に入った子をメンバーに選び、大人数のグループとなった。

 

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ミステリー列車ツアー当日、やっぱり目的地は遊園地だった。そしてやっぱり不安は当たっていた

 

思った通り、大人数の団体行動は何事も決めるのにも時間がかかった。どの乗り物に乗るとか、何を食べるとか・・・。なかなか決まらない相談の時間が勿体無く思える。相談している時間があったら、もう1つ乗り物に乗れるのに。私は昔から効率の悪いことは嫌いだった。

 

しかし「時間がなくなっちゃうよ!早く次の乗り物に乗ろう!」とはみんなに言えなかった。

もし意見を言えばE子からの攻撃を受けるかもしれないし、他の友人からも嫌われるかもしれないと思ったからだ。

 

素直に「あー楽しかった!!」と思える日にはならなかった。ぐたぐたしてしまって、思うように乗り物に乗れなかったと少し後悔した。

 

 

 

当時は躁鬱病発症前だったので、そこまでイライラせず落ち込むこともなかったが、この経験をとてもよく覚えている。

 

HSPという言葉は知らなかったが、幼い時からの私の性格として団体行動や意見を言うことは苦手で、人から嫌われたくないと強く思っていた。

 

HSPの映画の選び方

 

HSPの私が映画を選ぶ基準は、見ていて心が疲れない映画かどうかだ。

 

どの映画を選択するかによって、映画を観た後の気分が天と地ほど違ってくる。

 

苦手なジャンル

 

【アクション映画】

 

登場人物が殴られたりケガするところを見ると痛々しくて観続けられない。

 

大きな声を上げて怒鳴りあうようなシーンも苦手だ。

 

自分までもが怒られている気持ちになって気分が沈んでしまうことがあるからだ。

 

そして誰かが死んでしまうようなストーリーだと感情移入してしまい、必ずと言っていいほど涙が出てくる

 

どうしても感情が揺さぶられて耐えられなくなってしまう。

 

 

【戦争映画】

 

日本に生まれ育つと、戦争について身近感じることがない。

 

戦争のことを学校で習ったが、教科書で読んだりしただけではあまり想像することができなかった。

 

だが戦争映画を見ると映像が生々しくて、戦争で亡くなる人を見るのも辛いが、その残された家族のことまで考えてしまって苦しくなる

  

 

【ホラー映画】

 

以前から個人的に苦手なジャンルではあったが、必ず犠牲者が出てくる時点で映画を楽しむことができない 。

 

「ホラー映画大好きだよ!絶対にありえないストーリーだし、逆に笑えてくるよ!」

 

という友人もいるが私にはストレスにしか感じず、その気持ちは全くもって理解できない。

 

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好きなジャンル 

 

【恋愛映画】 

 

映画を見るならなるべく恋愛映画を見るようにしている。

 

ブコメなら傷つけあうようなシーンや、誰かが死んでしまうようなストーリーはほとんどない。

 

大体が恋が実ってハッピーエンドで終わるので、ホッとするし幸せな気分で見終えることができる。

 

自分も少しハッピーを分けてもらえて元気になれる気がする

 

 

【ファンタジー

 

魔法が使えたり、不思議な能力を持っている主人公の話だとワクワクする。

 

鬱の気持ちから現実逃避ができて気分転換しやすい。

 

戦闘シーンがあったとしても現実とはかけ離れた世界なので、観ていてあまり苦しくなることはない。

 

 

 【アニメ】

 

アニメは現実味をほぼ感じることができないので、必要以上に感情移入はしない

 

多少の痛々しいシーンがあったとしても、そこまで心は痛くならなくて済む。

 

ホラーや人が殺される映画は嫌いなのにも関わらず『名探偵コナン』は別物であり、好きなアニメの1つだ。

 

かわいい登場人物達を見ると現実世界とリンクができないし、いつも最後には主人公(正義)が勝つので安心して観ることができる

 

あとお気に入りと言えばジブリ映画だ。

 

心に波を立てることなく、いつも気持ちを穏やかにさせてくれる

 

 

 

普段からいろんなことを敏感に感じ取っている私は、人が傷つき死んでしまうような映画を見て更に刺激を感じることは避けたい。

 

ハッピーエンドや平和に終わってくれるような映画は、幸せな気分に自分を落ち着かせてくれるので私にとってはベストだ。 

 

そんな映画を見た後は、小さなことで悩んでいた気持ちからしばらくは抜け出すことができる。

 

躁鬱病&HSPが抱える人間関係のジレンマ

 

 

毎年の恒例行事として年に1、2度、高校の友人達に会う。

 

だが最近は実家を離れて県外に住んだり、コロナの状況悪化で会えていない。

 

なので去年からはビデオ通話をしてお互いの近況報告をするようにしている。

 

今日は4ヶ月ぶりにビデオ通話をすることにした。

 

20年ほどの付き合いで、お互いをよく知る関係なので気兼ねなく話せる関係だ。

 

金融系、音楽系、公務員とみんな職種が異なるので、私がいる世界と違うおもしろい話が聞ける。

 

あとは夫の話、彼氏の話、ゴルフ、旅行、最近観た映画の話・・・

 

たまに昔の思い出について懐かしんだりもする。

 

普段は無表情な私も、久しぶりに自然と笑えた

 

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ビデオ通話をすると決めた頃は、みんなの近況を聞きたくてワクワクしていたし、話している時は楽しいと感じた。

 

しかし、話終わった後は素直に楽しかったと思えなくなった

 

自分を自慢するような話し方をしたかもしれない・・・

 

自分だけが話しすぎてしまったかもしれない・・・

 

話し方にまとまりがなく、とっ散らかった話し方をしたかもしれない・・・

 

つまらない話をしたかもしれない・・・

 

あとからいろいろと後悔が溢れてくる

 

その後、とても楽しみにしていた友達との会話だったが、やっぱり辞めておけば良かったと思った。

 

下手くそな会話をしたことによって、みんなから嫌われてしまうような気がしたからだ。

 

 

 

私の脳の回転は悪い

 

躁鬱病になる前はどんな感じで話していたか正直言って忘れてしまったが、最近考えがまとまらないのに話を続けたり、大きく話が飛んだりすると感じる。

 

これは統合失調症にもよくある症状らしい。

 

普段から文章を組み立てるのが下手で、言葉が出て来ずに話の途中に止まってしまうことが多々ある。

 

私としてはみんなに楽しい話をしたいし笑ってほしいと思うのだが、いつも気持ちだけが空回りしてオチのない面白くない話をダラダラしまう。

 

その結果、人に対して悪い気分にさせたのではないかと思って鬱気分になる。

 

 

 

つまらない話をして嫌われたくない気持ちから、普段は無駄に人に話しかけないようにしている。

 

フレンドリーに話しかけて人と仲良くしたい気持ちがある一方、嫌われるかもしれない恐怖とのジレンマにいつも陥っている。

 

躁鬱病の私が朝目覚めて思うこと

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【少々気分落ち込み気味の時】

 

目が覚めて少しぼーっとしてからトイレを済ませ、キッチンへコーヒーを取りに行く。

 

しばらく何も考えずにキッチンにあるテレビで朝のニュースを見ながら、今日は何をしようかと考える。

 

静かな自分の部屋に戻ると、じわじわと昨日まで自分か悩んでいたことを思い出す

 

「仕事で失敗して迷惑かけてしまったな。やだなー。どうしよう・・・。同僚に嫌われたかもしれない。」

 

「やりたいことがいくつかあるのに、全然進まないし、自分はなんて要領が悪いんだ。」

 

はぁ・・・。

 

思い返しても仕方がないことや失敗が午後になっても頭に定期的に浮かんで来る

 

はぁ・・・。

 

 

 

【大鬱の時】

 

目覚めてからぼーっとする時間を与えない。

 

朝、目が覚めて2秒程で思うこと。

 

「またこの人生か・・・。」

 

辛いことが多いので、心のどこかで違う人・違う人生になっていることを期待しているのかもしれない。

 

次に思うこと。

 

「やだなー。」

 

漠然と嫌な気分がする。

 

しばらくして前日まで考えていた現実問題を思い出す。

 

「また仕事でパニックになって焦るかもしれない。」

 

「あの人苦手だけど、また会わないといけないな。」

 

次第にかなり先の未来の心配まで引っ張り出して来る。

 

「鬱なのにこの先どうして生活していこう・・・。」

 

「一生独り身で家族ができないかもしれない。」

 

「老後の年金が足りずに苦しむのではないか。」

 

朝から鬱の気持ちが溢れ出して止まらない

 

いつもであれば目が覚めるとすぐに起き上がって行動することができるのに、このような時はベッドから抜け出すことが難しい。

 

どうしてもトイレが我慢できなくなって、やっと動くことができる。

 

 

 

 心から「今日は最高の日だ!」「1日が楽しみで仕方ない!」と思える朝は、1年間に数日あるかどうかという感じだ。

 

そう思える日が多くなったらいいな。

 

 

 

クビ目前!どうしてもこなせない仕事

 

オーストラリアでのカフェバイトの鬱ストーリーはまだ続く。

 

仕事にも慣れて来た頃、オーナーに呼び出された。

 

オーナー「結構仕事ができるようになったと思うけど、他の仕事もやって欲しいんだ。バリスタができるようになるとか、電話で注文が取れるようになるとか。そうでないと仕事を辞めてもらわないといけないよ。」

 

そんな仕事できないなどとは言えるわけがないので、とりあえず「わかりました。」と答えた。

 

 

 

バリスタになるというのは、業務用の大きなエスプレッソマシーンを使ってアメリカーノやラテなどのいくつもの種類のコーヒーを作らなければいけない。

 

さらに海外はトッピングなどの細かな注文をするのが普通なので、注文を受けるの作るのもややこしい。

 

客A「Mサイズのフラットホワイトでミルクは低脂肪乳でヘーゼルナッツシロップ少々、あとぬるめでお願い。熱いのが苦手なのよ。ここで頂くわ。」

 

(フラットホワイト=ラテより泡が薄くオーストラリア以外ではあまり見られない)

 

客B「Lサイズのカプチーノでミルクはアレルギーがあるからソイミルク、砂糖は2つ、熱めが好きだからエクストラホットで作ってね。あとココアはいらないから、上にふりかけないでね。テイクアウトで。」

 

さらに砂糖はお客が自由に入れられるように店内に置いてあるにも関わらず、コーヒーを作る際に砂糖を入れてくれと頼む人が結構いる。

 

「そこに砂糖があるので自分で好きに入れてください。」と言いたいところだが、お客の好みのものを作る為に融通を利かせてバリスタが砂糖を入れてあげなければいけない。

 

日本にはない注文の仕方なので、全然頭に入ってこない。

 

だがここで長年働くバリスタは一度聞いた注文は全部頭に入れていたいし、常連がいつも頼むメニューまでも覚えていた。

 

なので常連がお店に入って来るやいなや、彼らがいつも頼むコーヒーをすぐに作り始めて、お会計が終わると同時にコーヒーを提供するという早業もしていたのでかなり驚いた。

 

私はその手際の良い同僚バリスタの姿を見ているだけで、もう頭がいっぱいいっぱいだった。

 

コーヒーに関して知識はゼロだったし、今までエスプレッソマシーンに触れたこともない。

 

でもラテ作りには興味はあったのでミルクを泡だてたりなど練習をしたいとは思ったが、カフェはいつも忙しくて練習する時間がなかった。

 

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そして何より嫌だったことは、電話に出ることだった。

 

以前コールセンターで私の失敗でもないのにお客さんに怒られて以来、苦手意識がついていた

 

さらに対面で注文を取るならば、もしわからなくても同僚に聞くことができるからまだいいが、英語の聞き取りに自信がなかったし電話では誰も助けてはくれない。

 

カフェで電話が鳴るたびに電話を取らなきゃと思うのだがなかなかできず、いつも他の同僚が電話に出てくれるのを待っていた。

 

電話を取って、自分が動揺してパニックになるのは予想がついた

 

そのあとに、失敗した自分を悔やんで鬱になることまでもイメージがついた

 

 

 

オーナーにクビ予告されてから何もできない自分を責める

 

「今日も電話に出ることができなかった。」、「今日もコーヒーを作る練習ができなかった。」と後悔の連続だった。

 

私には余裕が全く無かった。

今やっていること以上の仕事はできる気がしなかった。

 

いつクビを言い渡されるのかとヒヤヒヤして毎日落ち込んだ気分だった。

 

オーナーに面と向かってクビだと言われるのが怖くて、すぐに自分で働き先を探しだした。


極端に人に怒られるのが怖い

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オーストラリアのカフェでアルバイトをしたことがある。

 

オーストラリア人オーナーに、多国籍の同僚、そしてお客のほとんどがオーストラリア人。

 

小さな店だったが、絶えずお客が来る店だった。

 

私の仕事は、食事やドリンクの配膳、洗い物、料理の下準備だった。

 

5ヶ月間ほど働いていたのだが、いつものように鬱の波が来た

 

 

 

まず最初の小さな波は、初日の仕事が終わった後に来る。

 

「こんな難しい仕事できない!覚えることがたくさんありすぎて頭がパンクしそうだ!しかもオーナーの言ってる英語がわからない・・・」

 

 ここでやって行ける自信を無くし、すぐに心が折れてしまう。

 

1週間ほどは仕事がないときでも「どうしよう、どうしよう・・・」と落ち着かない。

 

しかしほんの少しだけポジティブに考えが浮かんできて、少しだけ救われる。

 

「まだ仕事を始めたばかりだからね。わからなくても仕方がない。」

 

 

 

働き出して2ヶ月ほどして、ある程度仕事内容も把握できた頃、大きな波がやって来た。

 

その日は、いつものように料理の下準備で野菜を切っていた。

 

野菜の在庫が少なくなるとホワイトボードに書かなければいけない。

 

オーナーがホワイトボードを見て、足りない食材を買い出しに行くという流れだった。

 

私は要領が悪いし、言われたこともすぐに忘れてしまいがちだ。

 

配膳やら洗い物やら別の仕事をしていたら、足りなくなりそうだった赤カブをホワイトボードに書き忘れてしまった。

 

それに気がついたのは仕事後に帰宅した時だった。

 

「あ!やばい、書き忘れた!明日でも大丈夫かな?どうしよう、オーナーに怒られるかもしれない・・・」

 

血の気が引く。

 

「まだ始めたばかりだからね。そういう時もある、仕方ない。」

 

とは自分には言い聞かせられなかった。

 

オーナーは決して怒りっぽい人ではなかったのに、彼の怒っている顔が何度も浮かぶ

 

ぐるぐると悪いことばかりが頭を巡り、そのミスのこと以外は考えられなくなった

 

すぐにオーナーにメールすることもできたが、書き忘れたことを怒られたくないし、嫌な顔もされたくない。

 

このままでは落ち着かないし眠ることもできないと思い、なんと自分でスーパーに行って赤カブを買うことにした。

 

すると他の野菜ももしかしたら足りなかったかもしれないと心配になってきて、結局3種類くらいの野菜を少量づつ買った。

 

次の日にカフェに行くとこっそりと野菜を保管してある部屋に行って、自分で買ってきた野菜を棚に置いた。

 

誰も気づくことはなく、ホッとした。

 

今であれば、そこまでする必要はなかったと思うが・・・

 

 

 

このように私は極端に人に怒られることを怖がった

 

相手に不快な思いをさせたくなかったし、自分が怒られて人前で泣くのも嫌だった。

 

人間誰でも失敗はあるし、怒られてしまうこともある。

 

でも私の心の奥底に「怒られることをしてはいけない。」「いい子でいないといけない。」という子供の頃からの心理がずっと残っているから、どうしても怒られることを避けたいのだ。