人間は当たり前のように、肉を食べるものだと思って育ってきた。
私は牛肉、豚肉、鶏肉、全部好きだ。
だが最近、ふとした瞬間に動物の肉を食べることに罪悪感を抱く。
それは海外で数年間暮らしたことによって、いろんな人と出会い、いろんな考え方を知ったからだ。
オーストラリアにいた時、ニュージーランドから移住してきた同僚と車で買い物に出かけた。
山の中のシェアハウスに住んでいたので、周りは牛や羊を飼っている牧場だらけ。
広大な牧場と牧場の間のまっすぐな道を進んでいく。
そんな雄大な景色を見ながら話していると、牛の話になった。
私「白色とか黒色とかいろんな色の牛がいるけど、何が違うんだろう?」
私にとって牧場は身近なものではなかったので珍しく、素朴な疑問がわいた。
同僚「白と黒の柄が乳牛で、その他は基本的に食肉になるんだよ。」
彼はあっさりとそう答えた。
私は遠くで草を食べている牛を眺めながら、なんだか嫌な気持ちがした。
スーパーではすでに加工されて食べやすいサイズに切ってあり、生きている牛の姿からはかけ離れた形になって販売されている。
なので今まで、生きていた健康な動物の肉を食べているという罪悪感は全くなかった。
放牧されている牛がパック詰めされるまでを想像して、牛に対して申し訳ない気持ちがした。
私「牛が可哀想・・・。」
同僚「そんなことないよ。時間をかけて苦しめながら殺すわけではないし、ちょうどいい時期に出荷されるんだよ。年老いてヨボヨボになって死んでしまうよりいいじゃないか。」
私には彼のような考え方はできなかった。
しばらくの間、肉を食べるのを辞めたいと思った。
ある日、ドイツ人の男の子と職場について話をしていた。
私「オーストラリアについてから果物農家と飲食店で働いてたよ。あなたは何してたの?」
男の子「以前食肉工場で働いていて、給料も良かったよ。ちょっと言いにくいんだけど・・・。牛を屠殺する仕事だったんだ。」
血の気が引いたような気がした。
彼のような人が働いているおかげで、私たちはスーパーで肉が買えるのだが、何と精神的に辛い仕事だろうか。
考えたくもないが、食肉工場の現実を知った。
シェアハウスで同居していたドイツ人の女の子がベジタリアンだった。
いつもヘルシーで素朴な料理を食べていた。
私から見たらそれはあんまり美味しそうには見えなかったし、味気ない感じに見えた。
私「何でベジタリアンになったの?」
女の子「家畜の飼育に関するドキュメンタリーを見たの。それでとても狭くて不衛生な場所で鶏が飼育されていたの。人間のエゴで動物をそんな風に飼育するのはいけないと思うの。」
彼女が劣悪な状況で育てられる家畜のドキュメンタリー番組を見せてくれたのだが、ナレーションは外国語で理解できなかったが、映像を見るだけで悲惨な様子が伝わってきた。
何千何万もの鶏が身動きの取れないゲージに押し込まれて、運動もできずに餌だけ食べていた。
鶏たちは外の世界も知らないまま、死んでいくのかと考えたらその日は食欲がなくなってしまった。
フランス人の女の子もドイツ人の女の子と似たような理由で、極力肉を食べないようにしていた。
そして卵や乳製品も同じように取らないように気をつけていた。
日本では今までベジタリアンに出会ったことがなかったので、そんな考え方があるのだと知った。
そして全部の家畜が劣悪な環境で育てられているとは思わないが、動物の命をもらうということに違和感を感じだした。
言われてみれば、私は動物が好きなのに何で今まで疑問に思わず肉を食べてきたのだろうと思う。
犬や猫の殺処分のニュースをみると、とても悲しくなる。
それと同じで牛、豚、鶏も私にしたら可愛い動物なので、殺されてしまうと考えたら悲しくなる。
動物だって、自由に生きたいだろうに・・・。
その命を取ってまで人間の食生活を豊かにする必要はあるのかな。
そんなことを思いながらも、育ってきた環境や長年の習慣もあり、やっぱり肉は美味しいと感じてしまう。
自分の中に矛盾があって、なんだかスッキリしない気持ちだ。
すぐに生活を変えることはできないが、できれば肉を食べない生活をしたいと思った。