入院中何度も調整して薬を変えた結果。1日あたりの薬の種類と量。
[入院前]
[入院後]
2ヶ月間でガラッと変わりました。もともと便秘体質だったので、プルゼニドは変わらず10年以上、現在も使ってます。
この時は私に一番合っていた薬だったけれど、環境や体調も変わってくるので、それに合わせて薬も少しづつ変わっていきます。
せっかく入院してまで調整してもらったけれど、結果的に1年もしないうちにまた少しずつ変わっていきます・・・。
入院中何度も調整して薬を変えた結果。1日あたりの薬の種類と量。
[入院前]
[入院後]
2ヶ月間でガラッと変わりました。もともと便秘体質だったので、プルゼニドは変わらず10年以上、現在も使ってます。
この時は私に一番合っていた薬だったけれど、環境や体調も変わってくるので、それに合わせて薬も少しづつ変わっていきます。
せっかく入院してまで調整してもらったけれど、結果的に1年もしないうちにまた少しずつ変わっていきます・・・。
入院中、作業療法がないときはクロスワードにをしていた。雑誌を買って、問題が解けたらハガキで懸賞の応募をする。それも途中で飽きてしまう。
携帯で友達と連絡は取りたくなかったし、当時ガラケーを使っていたので動画コンテンツは充実しておらず、携帯いじりも長くは続かない。
談話室にテレビはあるが一台しかないので、先約がいると自由に好きなチャンネルに変えられない。
談話室に本も置いてあった。今は読書が好きで楽しめるのだが、当時は本が読めなかった。文字が頭に入ってこないし、集中力がかけて全然読み進められない。
そこで、用もないのに毎日17歳の子の部屋に遊びに行った。
まずはその子の朝の様子を伺う。ベッドにはそれぞれカーテンがついていて、寝るときや着替えをするときはカーテンを閉める。
調子がいいとカーテンが開いていて、一緒に談話室へ移っておしゃべりをする。ダメな日はカーテンが閉まっているのでそっと寝かせておく。
そのこは入院歴が長かったし、これが2回目の入院だったと思う。なので知り合いがたくさんいる。その子が何人か友達を紹介してくれた。
鬱、統合失調症、パニック障害など様々病気を抱えているが、みんな歳も近く話しやすかった。カードゲームをしたり、ふざけ合ったり、普通の何気ない会話もするが、病状についてもよく話した。
「昨日寝れなくて、夜中看護師さんと話してた。」
「一日中しんどかった。」
「薬が合わなくて、体が動かなかった。」
みんなが躁鬱病ではなかったけれど、似たようなことで悩んでいることが多々あった。
みんなもがいて苦しんで病気と闘っている。
精神病ではない友達にこんな話をいくらしても共感してもらえない。家族にグチをこぼすこともあるが、あまり言っても無駄なので言わないようにしている。だって、苦しみを理解してもらえないから。
病院の友達の気持ちがよくわかるし、自分の話を聞いてもらいることで気持ちがスッキリする。
病状を共有する仲間がいることで、辛い状況にいるのは自分1人ではないことに気が付き、なんだかホッとした。
医師と話した時に、作業療法を勧められた。希望すれば週に3日、病院内にある作業療法室で編み物やアクセサリー作りなどの工作ができるらしい。手や頭を使うことで、リハビリになったり、気分転換となる。17歳の子も通っていたので、私も参加することにした。
作業療法室には作業療法士が常に2人いて、いろんな物の作り方を教えてくれたり手伝ってくれる。
今回は、座布団作りだ。説明が難しいのだが、一般的な作り方とは違って生地を縫うのではなく、細かな格子状に穴が空いた座布団サイズの薄いプラスチックに、短く切った毛糸を1つずつ穴に通して、プラスチックに毛糸を結びつけるようにして、ふわふわの座布団を作る。
まずはデザインと色を決めてから、専用の器具を使って毛糸を通す。
私はこの作業は好きだった。大学でファッションの勉強をしていたこともあって、デザインを考えること、ものを作ることも好きだった。
当時、自分の好きなことは全部嫌いになっていたのだが、ここは環境も人も違うし、全く新しいことのように思えて嫌だとは思わなかった。ただ手を動かして、物を作ることが楽しかった。
その後も、革の小物、ニードルフェルト、ピアス、ブレスレット、クリスマスにはケーキを作った。
毎回6人くらいの患者が参加し、無理に作業をする必要はなく、ゲームをしたり本を読んだり、作業療法士とおしゃべりするのが楽しくて通っている人もいた。
憩いの場所という感じで、自由で雰囲気がいい場所だった。
作業療法が唯一の楽しみだったので、逆に作業療法がない日は丸一日つまらなかった。
2010年の2ヶ月間だけ任意入院をした。
自分で食事もできるし、お風呂も入れる。入院が絶対に必要というわけではなかった。
でも3年ほど病状は改善していなかった。
入院することで、毎日医師に病状を見てもらうことができるし、早く自分にあった薬と治療方法が見つかるかもしれないということで入院を決めた。
任意の入院であったので、平日は病院、週末は実家で過ごした。
私が入院した精神科の病棟は大学病院の一階の端にあった。そして病棟の奥には、常に鍵のかかった隔離病棟もあった。
病棟にはナースステーション、テレビのある談話室、シャワールーム、トイレ、4人部屋が6つほどがあった。私は女性4人部屋の出入口に近いベッドをもらった。人とあまり顔を合わせたくなかったので窓際が良かったのだが、長く入院していた人がいたので、残念ながら新米入院患者の私は諦めるしかない。
入院している人は様々だ。隔離病棟は私は入ったことがないのでわからないが、普通の病棟は男性、女性、10代〜60代くらいまで。少し女性が多かったように思う。
入院生活がしばらくすぎると、年齢の近い子達と仲良くなった。いろいろ話すうちに、私以外はほぼ任意入院ではなかったことを知る。
など、今までに会ったことがないような人たちばかりだった。私の症状がとても軽いように思えてくる。
一番仲良くなったのは17歳の女の子だった。彼女は鬱病、強迫性障害、拒食症など多数の症状があり、高校に通えていなかった。さらに母親との折り合いも悪く、家にいることが辛いらしい。
でこの子のおかげで、病院や入院患者のことを教えてもらえたし、入院生活が少し楽しくなった。
1週間のうちに1日ほど元気があって外に出て、あとの6日はずっと家にいるという生活スタイルが定着してきた頃。
私の見た目が変わってきた。
以前よりも派手な明るい髪色に染め、濃いメイク、露出の多めの服を着た。ただ濃いメイクをしたい年頃だったのかもしれないが・・・
女性がメイクをすると自信が持てるというが、まさに私もそうであった。
自分を華やかに着飾り、メイクを濃くして表情を読まれないようにし、まるで自分に自信があって生き生きしている女性を演じたかった。
そうやって自分を強く見せることで、外からの嫌な刺激や攻撃から守ってくれたし、小さなことは気にならなくなった。
出会う人には全く躁鬱だとは思われなかった。誰も私が普段は家に引きこもっているとは想像ができなかっただろう。
定期的に精神科の病院へ通っていた。私を鬱と診断したのはおじいちゃん医師で、嫌いなわけではなかったが、素直に自分の症状を話せないような気がしていた。
そこで、40代くらいの女医さんのいる病院へ変えた。同性で年が割と近く、話しやすく優しい人だ。この先生ならなんでも気軽に話せた。そして受付のスタッフもとても感じの良い方だ。不安な気持ちでいっぱいいっぱいになっているが、病院に行くとほっとする。居心地がいい。
新しい病院に通院してしばらくのこと。家に引きこもることがある一方、お金を使いすぎたり、お酒を飲みすぎたり、自分をコントロールできない事があると医師に伝えた。
医師「うーん、そうですか・・・。それは双極性Ⅱ型かもしれませんね。躁鬱病とも言われます。」
私「うつ病とそれは違うんですか??」
私は躁鬱病を知らなかった。鬱っていう言葉が入ってるんだからほとんど一緒かなと思ったが別物らしい。
簡単に言うと、
と言う違いがあり、治療方法が変わってくるらしい。
ある調査によると、鬱病と躁鬱病は見分けることが難しく、躁鬱病の約20%の人が最初に鬱病と診断され、鬱の治療から始めるらしい。
「よくわからないけど、正しい治療方法がわかったし、飲み薬も変えて、これで体調良くなるかも。」
と私は安易に考えていた。
母はアイドルファンである。
最初は興味なかったのだが、母に会う度に彼らの最新情報を教えてくれるし、CDやDVDを貸してくれる。
そんな風に毎日のように曲を耳にしていると、
『悪くないじゃないか。ダンスもかっこいいね。』
とだんだん洗脳(?)されてくる。いつの間にか私も彼らの一ファンとなっていた。
次第に母と彼らのコンサートに行くようになった。
私も彼らの曲が好きだし、ダンスもかっこいいし、たまにコンサートに行けることを楽しみにしていた。しかし、嫌な事もあった。
私は人混みが大嫌いだ。コンサート会場の最寄駅に到着してからイライラは始まる。改札を出るのにも一苦労なくらい、混んでいる。駅の外に出てからも思うように歩けないし、人に当たったりする。
そして会場入場で長蛇の列に並ぶ。なんせお目当のアイドルは3〜5万人収容できるコンサート会場でライブをしていたので、仕方がない。
コンサート前にトイレを済ませておくのだが、基本的に30分程並ぶ。
更に騒がしいのは苦手だ。大好きなアイドルがこの目で観れるとあって、ファン達は大興奮。テンションも高いし、大きい声でワイワイと話している。その声が耳障りでしょうがない。
コンサートが始まってしまえば自分が不機嫌だったことを忘れ、とても楽しいと思える。音楽が大きくても全然気にならない、むしろ良い。
コンサートが終わると、またイライラし始める。人混みに流されながら、会場を出て、ギュギュにされながら電車に乗る。帰宅に普通以上の時間がかかる。そしてどっと疲れる。
私の気分の波は激しかった。楽しいコンサートのはずなのに、ムスっとしていることが多かった。
こんな私と一緒にいる母は大変だったと思う。今思うと申し訳なく思う。
就活に苦戦しながらも、同級生が大学最後の年を楽しんている頃・・・
私は1日20時間ほど、ベッドの上で寝たり横になっていた。座っているだけで疲れてしまうので、ご飯を食べたらすぐベッドへゴロン。
一人暮らしの小さな部屋を歩くだけで疲れる。自分の体力が100分の1になっている気がする。
流石に20時間も眠れないので、ゴロゴロしながら携帯をいじっていた。
当時みんなが使っているSNSといえばmixiだった。毎日のように友達の投稿や写真を見たり、自分でもよく記事を書いていた。
人は大抵SNSにはいい出来事を書く。
【イベントに参加しました!】
【彼氏ができました!】
【就職内定決まった!】
人生を謳歌しているようなを記事を見るのが嫌になってきた。
自分が休学していることをずっと気にして過ごしているのに、人と比較して更に苦しくなる。
キラキラ輝いている人、成功している人は見たくない。私にはみんなが眩しすぎる。
次第に記事を書くこともほとんどなくなり、友達申請など無視するようになる。
そしてSNSを見ることが怖くなる。自分はなんてダメな人間なんだとより強く思うから。
大学4年生の新学期が始まれば、気分も新たに学校で勉強ができるだろう。
私の読みは甘かった。
体調は相変わらす悪いし、たまに暴れるし、外出もなかなかできない。当然学校へ通えるはずはない。
今までは授業放棄状態で学校へ行ってなかったが、この状態が長期化すると考えた両親と医師はついに大学休学を私に勧めた。
大学4年になる前に休学手続きを行ったので、多少の維持費はかかるが、学費全額を払わずに済んだ。
いやいや決断したことだったが、一度休学を決めると、少しだけホッとした気もする。
もう少し様子を見てみよう。
SNSを見ると、同級生が就活セミナーに参加したやら、就活が大変とか、よくそんな記事を書いていた。
はぁ。
みんなが前に進んでいるのがわかる。私は成績優秀な方だったが、その道も外れ、今や留年の可能性だってある。自分が恥ずかしい。
鬱になる前までの私の趣味。
お酒を飲める年になり、飲み会に参加する事が好きになった。友人から誘われる以外にも、ネットで異文化交流会という名のパーティーに積極的に参加していた。たくさんの人と話したり出会えることが楽しかった。
ワーキングホリデーで海外に行ってみたかったので、勉強は続けていた。英会話教室に通い、先生から海外の文化や習慣を聞くとわくわくした。
高校生の時からダンスをすることやダンス動画を見ることが好きだった。ダンスで使えそうな洋楽などの音楽もよく聞いていた。
が・・・・・
一気に全部のことが興味がなくなった。というか嫌いなことになった。
なかなか外出できないので、友人からの遊びの連絡をずっと断り続け、罪悪感を得るようになった。そして、飲み会に参加しても体力を使うし、人と話すことが疲れるようになった。
英語が耳に入ってこなくなった。頭を使って考えることができず、勉強をするのが苦になった。しまいには英単語や英語学習の話題が耳に入るだけで嫌になった。
ダンスサークルを引退し、モチベーションがなくなってしまった。練習したくとも外出ができないので、踊れない。踊れない自分は動画を見たくないし、音楽も聴きたくない。
自分が好きだったことに対して嫌悪感まで感じるようになっていた。そこまで嫌いになる必要はないのだが、やりたいのにできない自分が許せなくて拒否をしていたのだと思う。