躁鬱の完治は諦めてます。

躁鬱歴13年。幸せを感じるのって難しい。

教授からの拒否

 

 

そろそろ卒業論文・卒業製作に取り掛からないといけない時期になってきていた。

 

私には尊敬していた教授がいた。年齢は50代頃、元ファッションデザイナーという肩書きの男性教授だ。細身のデニムに白いシャツ、中折れの帽子が彼の定番ファッションであった。一つ一つのアイテムもこだわりがあり、いつもおしゃれである。そこらへんの中年のおじさんとは全然違うオーラを出していた。彼についていけば、目標であるデザイナーになれると信じていた。

 

教授の授業は勉強になったが厳しかった。毎回テーマを出され、それに沿ったデザイン画を描く課題があった。授業の初めな必ず全員のデザイン画を黒板に張り出し、毒舌品評会をする。教授は物事をはっきりという人であった。いいものはいい、悪いものは悪い。いつもハラハラしながらデザイン画を提出していた。

 

私は絵が上手ではなかったが、憧れの教授に褒めてもらいたい一心で、一生懸命に描いた。この人についていきたいし、認められたいと。私のデザイン画がいいと言われることはなかったが、毎回興味深く、為になる講義をしてくれた。

 

3年生の生徒は必ずどこかの研究室に所属しなければいけない。西洋服飾史の研究、洗濯洗剤による汚れの除去の研究、ニット製品の製作などの研究室があり、1年を通して教授の元で研究や製作をする。卒業論文または卒業制作を仕上げないと、大学卒業はできない。

 

私はもちろん尊敬するあの教授の研究室に入り、卒業制作としてアパレルのデザインをし、ブランドの提案をしたかった。それ以外の研究室に入ることなど全く考えていなかった。そうでないと、この大学を選んだ意味がなくなる。

 

研究室に入りたい旨を、そろそろ教授に伝えようと思っていたある日、校内のエレベーターの中でばったりその教授に出くわした。

 

私『あっ、〇〇先生!先生の研究室に入って、卒業製作がしたいです!』

 

二つ返事で「ああ、いいよ。」と教授が言ってくれると思っていた。なぜなら、その教授の指導は厳しく、ほとんどの生徒はその研究室を希望しないと聞いていたからだ。定員オーバーになることはほぼないと踏んでいた。

 

だが私の検討は外れた。

 

教授『僕の研究室には来ない方がいいよ。デザイン画をたくさん描かないといけない。君は真面目だから、家庭科の先生になったほうがいいんじゃない?』

 

そう言ってエレベーターを降りていった。

 

思いがけない返事に私は何も言い返せなかった。

 

研究室に来ない方が良い=私にはデザインの才能なし

 

デザイン画をたくさん描かないといけない=デザイン画を描く技術がないからやめたほうがいい

 

家庭科の先生になった方がいい=ファッション業界で働けるような非凡な才能はないので、学校で基本的なことを教える先生になった方がいい

 

私の頭の中でこのように変換された。

 

教授に研究室の拒否をされただけでなく、今まで私は学校の先生にはなりたくないと思っていたのに、皮肉にもそれを尊敬する教授から勧められてしまった。

 

私はとても素直であった。

 

まっすぐそれを受け止めた

 

私の夢がナイフで切り裂かれたようだった。

 

そこから私の人生は白紙になった。

 

 

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