大学3年生の時、やりたいことがありすぎて「今のままでは満足できない。もっとできる。」と自分で自分に負荷をかけた。
ダンスサークルや英会話教室に通い、週末はアルバイトをしてかなり忙しい学生生活をしていた。
「成績[優]以外はとってはいけない。優等生であれば卒業後にアパレル業界に就職でき、デザイナーになれる。」と夢を見ていたが、現実はデザイナーはおろかアパレル業界に入る生徒はほとんどいなかった。
デザイナーになるには専門学校へ行って、より深く学ぶことを勧められる。それを聞いて大学へ通う意味がわからなくなった。
憧れていた教授から研究室に入ることを拒まれ、なりたいとも思っていなかった教員になることを勧められる。
家から出ることができなかったり、休学したり、入院したり、何度も退学を考えたことがあった。
でも、以前よりもほんの少し改善して復学できるようになった。
成績は良くなかったが、なんとか卒業に足りる単位は取得できた。
病気発症から5年、大学へ入学してから8年経ってやっと卒業できることになった。
卒業式の数週間前、大学内に袴のレンタル会社が来ていた。この会社で袴を借りれば、校内で着付けできるので楽だという。たくさんの生徒が袴の試着をしていた。
卒業が決まり、ちょうど何を着ようか迷っていたところだった。試着してみたがなんだかしっくりこない。
「袴を着ても、一緒に写真を撮る友人がいないじゃないか。」とふと思う。
ずっと一緒に勉強をしてきた同級生はここにはいないのだ。卒業の喜びを分かち合うことができない。
卒業が決まったのに、いまいち喜べない気持ちになる。
卒業式当日。
式が行われるホールへ行くともうすでにたくさんの卒業生と親族が集まっていた。人が密集している場所はうるさいし、息が詰まりそうで苦手だ。
卒業生の9割が袴を着ている。みんなとても華やかで、髪型も美容師にセットしてもらっているようだった。
私は、以前友人の結婚式のために買った手持ちのドレスを着た。卒業式のために袴をレンタルしたり、新しい服を買う気持ちにはなれなかったからだ。髪の毛ももちろん自分でセットした。
卒業生は仲間がたくさんいて楽しそうだ。わいわい話したり、写真を撮り合っている。
私の入学から知っている友人はいない。この状況でのひとりぼっちはかなり寂しい。話す人がいないので、用事もないのに携帯をいじってみる。この卒業式には私は場違いではないかと思う。
式は思ったよりも早く終わった。そのあとはみんなそれぞれの研究室へ寄って、担当の教授に挨拶に行く。そしてみんなで研究室の思い出を語り合う。私はその場にはいたが、話には入れないので、愛想笑いをしておく。
研究室にずっといてもなんだか気まずいので早めに抜け出し、入学した当時のクラス担任の教授、復学後のクラス担任の教授、学生相談室のスタッフの元へ行った。良くしてくれたこれらの人のおかげで卒業することができて感謝している。
その夜レストランを貸し切って行われる、卒業パーティーにはもちろん参加しなかった。
普段の私はイベントがあればたくさんの写真を撮る。でも記念すべき卒業式の写真はほとんど撮らなかった。あまりいい思い出にはならないとわかっていたからだ。
同じ研究室の女の子1人とお世話になった教授達のみ。
社交辞令で研究室のみんなで撮った写真もあるが、名前は全く覚えていない。
あれだけ苦しんでもがいてきた大学生活がやっと終わる。
卒業できた事実は嬉しかった。しかし思い出に残るような楽しい卒業式ではなかったし、仕事も決まってなかったので手放しで喜ぶことができなかった。