大学に復学し、割と順調に授業をこなしていた頃。
ある日授業を受けようと思い、教室へ向かっていた。
ちょうどドアが開いていたエレベーターに乗り込む。
ラッキー。タイミングよく乗り込めた!
そこには既に3人ほどエレベーターに乗っていた。見覚えのある人がいる。
4年前の思い出がフラッシュバックした。あの時もエレベーターの中だった。
躁鬱発症前にとても尊敬していた辛口の男性教授とその生徒がエレベーターの中にいる。卒業研究を断られてかなりのショックを受け、それが躁鬱病発症の1つに原因となった。
気まずい。
課題で褒められたことがないが、どうにか教授に食らいついていって技術を得て、卒業研究を完成させたい。デザイナーになりたい。その決意を粉々にした、あの思い出が蘇った。
もう数年も前の事なのだが、あのショックの影響はその後も続いていた。
教授も私に気づき、目があう。
こんなに近い距離で無視するわけにはいかないので、平然を装って「こんにちわ。」と教授に言おうとしたのだが、声が出ない。
すぐに私の眉間にしわがよる。
数秒で涙が溢れて来た。
教授とその横にいる生徒達は驚いただろう。何もしてないのに生徒が急に泣き出すのだから。
教授がすぐに「どうしたの?」声をかけてくれたが、その懐かしい声も嫌な思い出をぶり返させる。
今でも泣く事は多々あるが、泣きながらも自分の意見が言える。こういう事があったから悲しくて泣いているのだと説明ができる。
しかし当時の私は泣くことしかできなかった。頭が働かないので言葉が出てこない。
泣いている私が恥ずかしくて、その場からすぐに逃げ去りたい。
エレベーターが動いた後だったので、次に止まった階で降りる。みんな戸惑っていたが、エレベーターに乗ってそのまま上の階に行く。教授は泣いている私に対してもっと声をかけてくれたかもしれないが、何も耳に入ってこなかった。
あの重苦しい雰囲気のエレベーターから脱出できて、少しホッとする。
私はすぐに一階へ向かうエレベーターに乗り、授業をほったらかして、急いで家に逃げ帰る。
帰宅する道中も泣き止むことない。頭の中がネガティブなことでずっといっぱいだ。
その後、校舎でエレベーターに乗る時は気が張った。鉢合わせしないように、周りをよく見ていた。
今考えれば、何事もやってみないとわからないし、自分のやりたい事は自分で決める。
教授が私の卒業研究を選ぶ権利は全くない。
だが当時の私は傷つきやすく、なかなか過去を振り切ってポジティブの考える事ができなかった。