小学生から中学生まで英語を習っていた。隣町で通いやすく、おかげで中学時代の英語の成績は良かった。
だが、高校進学後は全く授業についていけず、毎回赤点を取ることになってしまった。
前回書いたように、”優しか許せない”私の性格の高校時代は暗黒時代であった。高校時代のことはまた別の機会に書こうと思う。
大学生の時に参加していたインカレダンスサークルには、英語の堪能な生徒や帰国子女がたくさん所属していた。その中の一人と仲良くなった。
彼女の両親はともに日本人なのだが、生まれはベネゼイラ、オーストラリア、アメリカなどいくつかの国で学校へ通い、日本で暮らしたことは人生で半分もないという。
話してみると、よく英単語が混ざっている。高校時代に英語の勉強をしてこなかった私にはちんぷんかんぷんの内容だ。わからない単語を「それどんな意味?」と毎回聞き返していると、全然話が進まない。なので、わからない単語をわかったように聞き流していた。彼女も難しい日本語がわからないので、意味がお互いはっきり理解していないことも多々あった。
私の周りには帰国子女はいなかったし、田舎に住んでいた高校時代も、留学をしてる同級生などいなかった。
考え方も、今までの私の考えとは違うし、それまで友人になってきたようなタイプとは違っていた。
性格も明るく、先輩後輩関係なく、友人がたくさんいる子であった。何人もの共通の友人からも”いいやつ”という太鼓判を押されていた。
「海外で育つと、こんなに大らかで明るく、社交性がある子に育つんだな。」
「英語がペラペラ話せることもかっこいいけど、こんな明るく友達の多い人になりたい。」
彼女は私の憧れの存在になった。