躁鬱の完治は諦めてます。

躁鬱歴13年。幸せを感じるのって難しい。

海外で暮らすタフな日本人女性との出会い

 

 

ある日、シェアメイトであるオーストラリア人のおじさんの友達が遊びに来ていた。

 

その人もオーストラリア人で50歳くらいの男性だった。

 

彼が私のところへ来て話しかけた。

  

男性「君は日本人なの?僕の奥さんも日本人なんだよ。子供も3人いるんだ。」

 

そう言って嬉しそうにハーフの子供達の写真を見せた。

 

彼が日本人に対して好感を持ってくれている事はわかったが、それ以来ほとんど会う機会はなかった。

 

 

 

ある日元気のない私を見て、ハウスメイトのオーストラリア人のおじさんが心配してくれた。

 

今の環境に馴染めない事、孤独を感じている事を話すと、静かに私の話を聞いてくれた。

 

 おじさん「私はオーストラリア人でずっとここに住んで来た。英語以外は話せないし、他の国へ行ったこともない。君と同じ立場になった経験がないからいいアドバイスはできないけど、Aに相談してみたらどうだ?彼女はこないだここに遊びに来た人の奥さんだよ。20年間ここに住んでるし、君の気持ちがわかるかもしれない。」

 

Aというのはハーフの3人の子供たちの母である、日本人女性だった。

 

おじさん「Aはもうすぐ引っ越すらしく、その準備で忙しいらしい。もし話したかったら、ついでに引越しの手伝いでもしてきたらどうだ?」

 

迷わずAと連絡を取り、会う約束を取り付けた。

 

頼れる人もいなかったし、他に選択肢がなかった。

 

 

 

彼女の家は山の中の小さな町にあった。

 

それらしき家に着いたが、初めてなので本当にこの家で合っているか心配になる。

 

家の周りをうろうろしているとAさんらしき40歳くらいの女性を見つけた。

 

こんな小さな町に日本人はそうそういないのですぐにわかった。

 

私「こんにちは、初めまして。」

 

A「初めまして。ごめんね、片付いてなくって。手伝ってくれて助かるわ。」

 

そう言って家の中に案内してくれた。

 

日本語を話すとホッとした。

 

退去する際に自分で掃除をしないといけないらしい。

 

田舎の一軒家は大きく、人手がいるのは見てわかった。

 

私の仕事は壁に着いた汚れを雑巾で拭くことだった。

 

壁には子供の落書きや埃などの汚れがある。

 

できる限り頑張るが、掃除は終わる気がしなかった。

 

途中、彼女の子供達も交えて休憩をとった。

 

一番上の子は12歳くらいで英語と日本語両方話せるが、下の2人は英語しか話さないそうだ。

 

ハーフ=バイリンガルというわけではなく、2つの言語を同じように教育することは難しいと知る。

 

その後、私とAさんは一緒にキッチンを掃除した。

 

Aと初めて会ってから数時間が経って少し距離が縮まった気がして、今なら相談ができると思った。

 

私「今のシェアハウスは英語を学ぶのにいい環境なのに、辛いんです。私以外のアジア人はいないし、文化が違いすぎてついていけない。言いたいこともなかなか言えないし、誰も私の気持ちを理解してくれない。」

 

A「そうねー、アジア人と西洋人とでは文化も考え方も違うよね。でも私はそんな文化の違いをいつも感じながら、20年間もここで暮らして来たのよ。だからあなたも大丈夫よ。考えすぎたらダメ。日本人でいること、アジア人でいることに誇りを持って。」

 

周りの友人に言われるような励ましとは違った。

 

彼女の言葉にはとても重みがあった。

 

海外が好きで長年暮らし、英語力のある人でもいつも文化の違いを感じている。

 

でもそれを乗り越えながら、この地に馴染んで生活している人がいる。

 

Aさんはとても強い人だと思った。

 

彼女はドクターでもカウンセラーでもないし、今日初めて会った人。

 

でもその優しさに甘え、日本語で愚痴を聞いてもらえてホッとしたのか、やっぱりまた泣いてしまった。

 

そして人前で泣くという恥ずかしい気持ちと、こんな姿を見せて申し訳ないという気持ちがした。

 

 

 

メールで何度かやり取りはしたが、それ以来Aさんと会うことはなかった。

 

彼女も忙しかったし、私も他の都市に移動してしまったからだ。

 

彼女からの最後のメールは、

 

『他の町に引っ越すことは、同じ場所に長くいるよりもいいわ。強くいてね。そして気持ちのアップダウンまでも楽しめばいいのよ。元気でね。』

 

だった。

 

彼女の強さを少し分けてもらった気がした。