躁鬱の完治は諦めてます。

躁鬱歴15年&HSP。幸せを感じるのって難しい。

童謡「一年生になったら」にHSPが思う疑問

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今でもよく覚えている歌がある。

 

子供の時に習った童謡「一年生になったら」だ。

 

作詞:まどみちお

作曲:山本直純

 

いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいな
ふじさんのうえでおにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと

(※一部抜粋)

 

多くの人がこの歌を知っていると思う。

 

新しく小学生になる子供のワクワクした気持ちを歌った曲だ。

 

この歌を批判するわけではないが、思うことがある。

 

 

 

小学校に上がると、「友達をたくさん作りましょう。」「みんなと仲良くしましょう。」と先生に言われた。

 

たくさん友達がいる子、みんなと仲良くできる子が正義のように感じていたし、そうしなければいけないと思っていた。

 

だが本当にそうなのだろうか?

 

友達は少ないとダメなのか?

 

薄っぺらい関係の友達を100人作ってもいいのだろうか?

 

クラスのみんなと仲良くする必要はあるのだろうか?

 

 

 

HSPの私は人間関係をうまく保つことが難しい。

 

なるべく人に関わりたくないと思っている。

 

そんな私は友達が少なくてもいいし、みんなと仲良くする必要はないと思っている。

 

決して「みんなと仲良くしない=いじめたり、仲間外れにする」と言う意味ではない。

 

無理矢理に人に合わせて友達を作る必要はないと言うことだ。

 

人はそれぞれ性格が違うので、自分に合うような近しい存在を見つけることが難しい。

 

数が少なくても理解し合える存在がいれば、それでいいのではないだろうか?

 

薄っぺらい関係の友人を100人作っても、付き合いを継続するだけで疲れてしまう。

 

心を許せる友達が1人でもいたらいいと思うし、無理にみんなと仲良くしなくてもいいと思う。

 

愛想をつかされ彼氏と破局 〜恋愛依存〜

 

 

2台の車を廃車後、大鬱に耐えて少しづつ以前のような生活に戻って来たが、また試練はやって来た。

 

一緒に住んで居た彼から突然別れを告げられたのだ。

 

彼氏のおかげでこのシェアハウスに住めたし、たくさんのオーストラリア人やヨーローッパ人と出会うことができた。

 

カルチャーショックはとても大きかったが、他の国の文化を知ることができたし、この環境だったからこそ英語も上手になった。

 

日本人だけが住むシェアハウスでは体験できないことばかりだった。

 

彼のことで悩んだ時期もあったが、別れることは考えていなかった。

 

彼がオーストラリアに滞在できるのはあと3ヶ月。

 

残り少ないオーストラリア滞在で何をしようか考えていたようだ。

 

彼はしばらくしたらオーストラリアを少し旅行した後に、ニュージーランドへワーキングホリデーに行こうと計画していた。

 

私は彼について行きたいと話したが、彼は1人で行くと言う。

 

彼「これから離れ離れになってしまうのだから、今別れたい。僕のビザはもうすぐ切れてしまうけれど、君はまだオーストラリアに来たばっかりだし、まだ1年以上ビザがあるだろう。」

 

別れる理由としてビザのことを上げられたが、しっくりこなかった

 

ビザの満期までオーストラリアにいる必要がないし、しばらく離れたとしても後にニュージーランドで合流することだって可能だ。

 

言葉に出して言わなかったがビザはあまり問題では無く、アップダウンがあって不安定な私に愛想をつかしてもう一緒に居たくなかったといのが1番の理由だろう。

 

気分が不安定なせいでいつも恋愛がうまくいかない。

 

躁鬱病になったことを恨む。

 

何度話しても一緒に行けないし復縁はできないと断られた。

 

彼氏と一緒に住んでいたので、毎日顔を合わせないといけないことがなによりも辛かった。

 

彼の存在を忘れたくても忘れられない。

 

まるで地獄。

 

一方彼は普段とあまり変わらない様に見えた。

 

私はまたしばらく食事ができなくなった。

 

そして笑うこともできなくなった。

  

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彼氏は面白い性格だったが、お世辞にもいい人とは言えなかった。

 

はっきり言って思いやりがないし、自己中心的で周りからの評判もあまり良くなかった。

 

今思えば、別れて正解だった。

 

私は盲目になっていた。

 

何でそんな彼氏に振られて落ち込んで鬱になったかというと、側にいてくれる人が欲しくて恋愛依存していたのだと思う。

 

誰かに味方になって欲しかったし、誰かに私の存在を認めて理解して欲しかった。

 

彼がいなくなってしまうと、自分の存在も薄れてしまうような感じがした。

 

鬱の改善を彼氏に頼ると気分の波がより大きくなるし、根本的な改善にはならない意味のないことだと私はまだ学んでいなかった。

 

 

苦手だけど大好きな19歳のフランス人同僚

 

農家でのアルバイトは結構気に入っていた。

 

朝5時に起きてメイクをせずに日焼け止めだけ塗り、毎日パジャマのような格好で職場に行くので、出勤の準備が楽。

 

仕事は6時から14時までで、帰宅後しても午後の時間はたっぷりある。

 

1日を有意義に過ごせている気がした。

 

フルーツの収穫は重労働だったが、ラジオや好きな音楽を聴きながら自分のペースで仕事ができた。

 

オーストラリアの労働賃金は高く、難しい仕事ではないのに時給は$22(≒¥1800)も貰える。

 

何よりも人に会わずに黙々と作業できることが自分には向いていたのだと思う。

 

 

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この時の職場の同僚は多少入れ替わりがあり、オーナーであるオーストラリア人夫婦、フランス人2人、日本人3人になっていた。

 

その中でもフランス人の19歳の女の子は、今まで出会ったことのないようなずば抜けた子だった。

 

元気とパワーが人並みはずれて溢れている、私と対照的な存在だった。

 

人見知りという言葉を知らないだろうと思ってしまうほど、誰にでも構わず話しかける。

 

毎日テンションが高く、人を笑わせたりエネルギッシュな話し方をする。

 

どんな事でも大げさに話し、喜怒哀楽も激しく、飛んだり跳ねたりと動きもとても大きい。

 

彼女との話は楽しいのだが、20分もすればもう疲れてしまう。

 

ほとんどは彼女の話を聞くだけなのだが、それだけでこちらもかなりのエネルギーを使ってしまう。

 

日本人のように包み隠すことなく考えをはっきりと言うので、彼女に悪気はないのだがグサっと胸に刺さるようなことも言われた。

 

HSPで敏感な私は、彼女に否定されると辛かった。

 

疲れているときは彼女に近づかないようにしていた。

 

彼女と私のエネルギー量が違いすぎた

  

いつもどこからそんな元気が湧いてくるのか不思議でしょうがなかった。

 

元気がありすぎて、夜なかなか眠れずに困っていると聞いた時には驚いた。

 

鬱を感じやすい私は彼女のエネルギッシュな遺伝子を少し分けて欲しいとさえ思った。

 

 

 

そんな彼女だがユニークで純粋で情熱的な性格だったので、いつもみんなに可愛がられる存在だった。

 

そして私にもいつも人懐っこく声をかけてくれたし、ポジティブな考えをシェアしてくれたし、へこんでいると全力で励ましてくれた。

 

結局何ヶ月も一緒に過ごすと私と彼女は仲良くなり、なんだか年の離れた妹ができたようだった。

 

エネルギーが有り余りすぎて手を焼くことも多々あったが、社交的でいつも元気でいられる彼女が本当に羨ましかったし大好きだった

 

廃車が引き金となって大鬱突入

 

 

サービスエリアに置いて来た車の故障原因はエンジントラブルだったようで、1台目の車と同様に修理できないこともないが、購入代金よりも修理費の方が高くなると言われた。

 

私にはどうすることもできない。

 

結局オーストラリアに来てから9ヶ月間で2台も車を廃車にしてしまった。

 

約30万円を捨てたようなものだ。

 

車がなくなってからは、知人に送り迎えをしてもらって仕事へ通った。

 

 

 

不安定ながらも文化の違いや孤独になんとか今まで耐えて来たが、車のことで最後のトドメを刺された。

 

落ち込みはかなり深く、人前で鬱を隠すことも誤魔化すこともできなくなってしまった

 

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①笑えない

 

私が2度も車を廃車にしたことはすぐに周囲に伝わり、よく話のタネにされた。

 

私をバカにするつもりはなく「気にするな。」と声をかけてくれるのだが、素直に聞き入れられなかった。

 

「私って本当にドジだよね(笑汗)。」と言って愛想笑いさえもできず、仏頂面で1日中過ごした。

 

②面白いと思えない

 

何をしてもつまらなかった。

 

友人達が楽しそうに話しているのを見ても、興味がないし会話に加わりたいと思わなくなった。

 

「そんなくだらないことでよく笑えるな。」と口には出さないが、冷めた感情になる。

 

③人をしらけさせるほど態度が悪い

 

仕事のランチの時間は、オーナーや同僚とテーブルを囲んでおしゃべりをしながら食べるのだが、みんなの楽しそうな会話は耳障りでしかなかった。

 

1人で静かに食事をしたかったがそんな訳にはいかないので、我慢しながらその場にいなければいけなかった。

 

その場にいるだけで苦痛だったので、会話の受け答えもままならない。

 

私のあまりにもぶっきらぼうな返事にオーナーも驚き、雰囲気を悪くしてしまったが、その場で泣くよりはましだと思った。

④食欲減退

 

普段食べることが大好きなのに、鬱になると食べ物を食べる意味がないように感じる。

 

一時的に食欲がなくなって、急に体重が減ることがある。

 

⑤少しの刺激で泣く

 

普通は気にしないような少しの刺激でも心が壊れてしまう。

 

鬱が頭から離れず、全く関係のない場所や状況でも泣いてしまう。

 

機嫌の悪い人を見るだけで、自分が怒られているように感じて泣いてしまう。

 

プチ家出

 

彼との関係も悪くなる一方。

 

今まで何とか我慢できたことが、一切できなくなった。

 

彼を見るだけで今までの辛い気持ちがぶり返して涙が出てくる。

 

それならば彼に会わなければいい。

 

シェアハウスを飛び出して、ノープランで近所をひたすら歩いた。

 

山の中に住んで居たので、人には出くわさない。

 

出会うのは牧場で飼われているたくさんの牛や羊。

 

だから泣きながら歩いても気にならならなかったし、気の済むまで思いっきり泣くことができた。

 

 

でも涙はそうそう止まらなかった。

 

いつの間にか日が傾いていた。

 

街灯もない山の中でこれ以上ここにいるのは危ない。

 

もっと1人で居たかったが、しぶしぶシェアハウスへ戻る。

 

 

 

自分の気を紛らわせるものもなく、ただ大鬱に耐えるしかなかった

 

悪夢再び!車の故障と見ず知らずの恩人

 

 

たった2ヶ月で車を廃車にし、しばらく鬱状態になった。

 

もう車なんて運転しないと思っていたが、車がない山の中での不便な生活には耐えられなかった。

 

そこで今度はシェアメイトのオーストラリア人に相談し、前回よりも新しく状態の良い中古車を購入しようと考えた。

 

そして16年落ちの日本車を$1800(≒15万円)、登録料など合わせて$2000(≒17万円)で購入した。

 

そして自分でできる範囲の車のメンテナンス方法を教えてもらった。

 

毎朝クラーラントとオイルのチェックをすることである。

 

オーストラリアは広大で、通勤でもかなりの距離を走ることになる。

 

それに古い車なので、よくチェックしたほうがいいとアドバイスを受けた。

 

そして万が一のため、タイヤの交換方法も学んだ。

 

自分でメンテナンスをするのはめんどくさいと思った反面、新しいことを知ることが楽しいとも思えた。

 

2代目の車のおかげで楽に通勤ができたし、週末にキャンプや観光もすることができた。

 

たくさんの思い出が作れた。

 

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そんなある日、また車が故障することになる。

  

日曜日に友人と4人で車で買い物に出かけていたのだが、その帰り道にハイウェイを走っていると車の調子がおかしくなった。

 

なんと車の中からが出て来たのだ!

 

友人「やばいよ!これ爆発するんじゃない????」

 

焦って車を路肩に停めて、すぐに車から飛びだした。

 

ヒヤヒヤしながら離れて車を見つめる。

 

しばらく様子を見ても爆発はしそうになかった。

 

車内に戻りエンジンをかけようとするが、エンジンはかからない。

 

私には車の知識もなかったし、これ以上自分達にできることはなかった。

 

車で1時間半もかかる山の中にあるシェアハウスまでどうやって帰ればいいのか。

 

直通の電車はないし、バスを利用したとしても1日に1本しかないので明日まではバスには乗れない。

 

途方にくれる。

 

放心状態とはこのことだ。

 

女子4人がハイウェイの横で立ちすくんでるの見て、不思議に思った1台の車が停まってくれた。

 

50歳代くらいのオーストラリア人の夫婦だった。

 

事情を説明すると、ここは危ないので近くのサービスエリアに車を移動してはどうかと提案された。

 

しかしエンジンは何度試してもかからない。

 

車を押してサービスエリアまで行くしかなかった。

 

不幸中の幸いと言えるのかわからないが、それは1キロ先にあった。

 

私は運転席で車がまっすぐに進むようにハンドルを握り、友人達は車を後ろから押した。

 

とても長い1キロだった。

 

サービスリアに着くとスタッフに事情を話し、しばらく車を置いてもらうようお願いをした。

 

そして夫婦はその後、彼らの家から1時間以上も離れたに私たちのシェアハウスまで車で送ってくれた。

 

しかも、夫婦はその時に仕事があったにも関わらず、私たちの送迎のためにわざわざ出勤を遅らしてくれたのだ。

 

見ず知らずの外国人にここまでしてくれる夫婦の優しさに感動する。

 

正に彼らは忘れることのできない私の恩人である。

 

そして感謝の気持ちの次に待っていたのは、迷惑をかけてしまったという恥ずかしさと、大きな後悔の気持ちだった。

 

悪夢!オーストラリアで車を廃車に・・・

 

 

オーストラリアで農業の仕事をするため、車が必要だった。

 

山の中に住んでいたので交通手段は1日1本のバスだけだったし、大きな通りしか通らない。

 

これでは農業の仕事探しもできないし、仕事をもらったとしても通勤ができない。

 

そうとは言っても新車なんて買えないし、長く車に乗ったとしても2年間だけ。

 

と言うことでネットで中古車を探し、23年落ちの日本車を$700ドル(≒6万円)、手続きを諸々合わせて$900(≒7万5千円)で購入した。

 

日本でこんなに古い車は見たことがなかったし、車体価格も安くて驚いた。

 

オンボロ車に多少不安はあったが、日本のメーカーということで品質の良さを信じることにした。

 

以外にもオーストラリアでの運転はそれほど難しくなかった。

 

日本と同じで右ハンドルで左側走行だし、田舎に住んでいたので信号や交通渋滞もなかった。

 

ただひとつ問題であったことは、私に車の知識がなかったことだ。

 

日本では2年に1度の車検制度で専門家に見てもらえるが、オーストラリアはその制度がなく、基本的に自分で車のメンテナンスをするらしい。

 

日本にいた時は家族に車のことを任せっきりだったので、私はボンネットの開け方も知らなかった

 

 

 

車を購入してから生活が少し楽しくなった。

 

仕事に行きやすいのはもちろん、いつでも買い物に行けるし、近場の観光ができた。

 

そして購入から2ヶ月ほどしたある週末、友人とビーチへ遊びに出かけた。

 

オーストラリアのビーチは日本のビーチと比べ物にならないほど綺麗だった。

 

砂は白く、水は青いグラデーションになっている。

 

水の透明度が高く、まるで水族館の水槽ように泳いでる魚がよく見える。

 

友人と楽しい時間を過ごして、とてもいい気分で家に帰ろうと車に乗り込んだ。

 

しばらく運転していると、アクセルがあまり効かなくなった。

 

スピードが出ない。

 

おかしいと思って路肩に車を寄せる。

 

よく見るとシフトレバーがDではなく2に入っていたのだ。

 

日本で乗っていた車はハンドル近くのパネルにどのシフトが入っているかデジタルでパッと見てかわかるようになっていたのだが、この23年落ちの車にそんな表示はされずはずもなく、ブレーキレバー横にあるシフトレバーを直接見るしかなかった。

 

2を使ったことはなかったし、いつ使用するのかもわからなかったが、なんだかヤバい予感はした。

 

気付いた頃には時は既に遅し。

 

エンジンもかからなくなってしまった。

 

完全にパニックで、どうすればいいか頭が回らなかった。

 

結局、シェアハウスのオーストラリア人に片道1時間かけて迎えに来てもらった。

 

助けてくれたオーストラリア人と一緒にいた友人に迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

後日、車はオーバーヒートで修理できないこともないが、購入価格よりも高くなると言われたので廃車にした。

 

 

 

その後いろんな人に、

 

「$700で買った車が2ヶ月ももったなら安いもんじゃない!」

 

と励まされたが、私にとってはかなりショックだった。

 

それからしばらく鬱が続いたのは言うまでもない。 

 

「How are you?」と聞かれて「I'm fine」と答えられない訳

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私は外国人に「How are you?」と挨拶されるといつも嘘をついて答える

 

そしていつも多少の罪悪感を感じる。

 

 

 

How are you?(調子はどう?)

 

誰もが最初の英語の授業で学んだ挨拶だろう。

 

I'm fine , thank you. (元気だよ、ありがとう。)

 

そしてこれが返答と学ぶ。

 

他の返答例としては 、

 

<元気な時・まあまあの時> I'm great.  /  I'm good.  /  I'm Alright.

 

<元気のない時> Not so good.  /  Terrible.

 

などあるが、外国人と挨拶をするとほとんどの人が「Great!(最高だよ。)」のように元気だよと返事をする。

 

西洋人は遺伝子的にハッピーな人が多いらしいからかもしれないが・・・

 

私はよく鬱を感じるので、気分は良くない時が多い。

 

正直に「Not so good.  (元気がないんだ。)」と答えたいところだが、そう言うとみんなすごく心配をする。

 

英語でうまくこの感情を説明できないし、説明したところで躁鬱病の気持ちをわかってもらえるはずもない。

 

だって日本人でもわかってくれる人はほとんどいないのだから。

 

元気ではないのに「I'm fine.(元気だよ。)」とは流石に言いづらいので、いつも「I'm ok.(まあまあだよ。)」と良くも悪くもないような答え方をする。

 

そんないまいちなパッとしない返事を繰り返す私に、友人が言う。

 

友人「またまあまあなの?Good(元気)じゃないの??」

 

「I'm ok.(まあまあだよ。)」もあまりいい印象はないようで、こう返事をする人は少ないようだ。

 

でも元気でないことが多いので、この返事が私にとって丁度いい

 

英語だけではなく、その他の言語でも人に会ったらまず相手の調子を伺うような挨拶はたくさんある。

 

会話の出だしから嘘をつくことはちょっと心苦しいが、外国人と暮らす上でこの挨拶は避けられない。

 

「I'm fine.(元気だよ。)」と心から爽やかに答えられる人が羨ましい。

 

 

海外で暮らすタフな日本人女性との出会い

 

 

ある日、シェアメイトであるオーストラリア人のおじさんの友達が遊びに来ていた。

 

その人もオーストラリア人で50歳くらいの男性だった。

 

彼が私のところへ来て話しかけた。

  

男性「君は日本人なの?僕の奥さんも日本人なんだよ。子供も3人いるんだ。」

 

そう言って嬉しそうにハーフの子供達の写真を見せた。

 

彼が日本人に対して好感を持ってくれている事はわかったが、それ以来ほとんど会う機会はなかった。

 

 

 

ある日元気のない私を見て、ハウスメイトのオーストラリア人のおじさんが心配してくれた。

 

今の環境に馴染めない事、孤独を感じている事を話すと、静かに私の話を聞いてくれた。

 

 おじさん「私はオーストラリア人でずっとここに住んで来た。英語以外は話せないし、他の国へ行ったこともない。君と同じ立場になった経験がないからいいアドバイスはできないけど、Aに相談してみたらどうだ?彼女はこないだここに遊びに来た人の奥さんだよ。20年間ここに住んでるし、君の気持ちがわかるかもしれない。」

 

Aというのはハーフの3人の子供たちの母である、日本人女性だった。

 

おじさん「Aはもうすぐ引っ越すらしく、その準備で忙しいらしい。もし話したかったら、ついでに引越しの手伝いでもしてきたらどうだ?」

 

迷わずAと連絡を取り、会う約束を取り付けた。

 

頼れる人もいなかったし、他に選択肢がなかった。

 

 

 

彼女の家は山の中の小さな町にあった。

 

それらしき家に着いたが、初めてなので本当にこの家で合っているか心配になる。

 

家の周りをうろうろしているとAさんらしき40歳くらいの女性を見つけた。

 

こんな小さな町に日本人はそうそういないのですぐにわかった。

 

私「こんにちは、初めまして。」

 

A「初めまして。ごめんね、片付いてなくって。手伝ってくれて助かるわ。」

 

そう言って家の中に案内してくれた。

 

日本語を話すとホッとした。

 

退去する際に自分で掃除をしないといけないらしい。

 

田舎の一軒家は大きく、人手がいるのは見てわかった。

 

私の仕事は壁に着いた汚れを雑巾で拭くことだった。

 

壁には子供の落書きや埃などの汚れがある。

 

できる限り頑張るが、掃除は終わる気がしなかった。

 

途中、彼女の子供達も交えて休憩をとった。

 

一番上の子は12歳くらいで英語と日本語両方話せるが、下の2人は英語しか話さないそうだ。

 

ハーフ=バイリンガルというわけではなく、2つの言語を同じように教育することは難しいと知る。

 

その後、私とAさんは一緒にキッチンを掃除した。

 

Aと初めて会ってから数時間が経って少し距離が縮まった気がして、今なら相談ができると思った。

 

私「今のシェアハウスは英語を学ぶのにいい環境なのに、辛いんです。私以外のアジア人はいないし、文化が違いすぎてついていけない。言いたいこともなかなか言えないし、誰も私の気持ちを理解してくれない。」

 

A「そうねー、アジア人と西洋人とでは文化も考え方も違うよね。でも私はそんな文化の違いをいつも感じながら、20年間もここで暮らして来たのよ。だからあなたも大丈夫よ。考えすぎたらダメ。日本人でいること、アジア人でいることに誇りを持って。」

 

周りの友人に言われるような励ましとは違った。

 

彼女の言葉にはとても重みがあった。

 

海外が好きで長年暮らし、英語力のある人でもいつも文化の違いを感じている。

 

でもそれを乗り越えながら、この地に馴染んで生活している人がいる。

 

Aさんはとても強い人だと思った。

 

彼女はドクターでもカウンセラーでもないし、今日初めて会った人。

 

でもその優しさに甘え、日本語で愚痴を聞いてもらえてホッとしたのか、やっぱりまた泣いてしまった。

 

そして人前で泣くという恥ずかしい気持ちと、こんな姿を見せて申し訳ないという気持ちがした。

 

 

 

メールで何度かやり取りはしたが、それ以来Aさんと会うことはなかった。

 

彼女も忙しかったし、私も他の都市に移動してしまったからだ。

 

彼女からの最後のメールは、

 

『他の町に引っ越すことは、同じ場所に長くいるよりもいいわ。強くいてね。そして気持ちのアップダウンまでも楽しめばいいのよ。元気でね。』

 

だった。

 

彼女の強さを少し分けてもらった気がした。

 

 

なぜここにいるのだろう?生きる意味と幸せとは?

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双極性II型の場合、人生の50%は躁状態または普通の状態、そして残りの50%は鬱状態であるらしい。

 

実際に私も双極性II型であり、かなりの割合で鬱を感じている。

 

その鬱状態の時によくふと思うことがある。

 

私はなぜここにいるんだろう。

 

私はここで何をやっているんだろう?

 

自分から大きく切り離されて、遠くから離れて自分を見ている気分になる。

 

今日ふと仕事の出勤時に思ったことは、

 

こんな楽しいと思えない仕事をやる意味はあるのか?

 

人生短いのに、こんな事に時間を費やしていいのだろうか。

 

だった。

 

そこから次々と疑問が浮かんで来る。

 

お金を稼ぐことも大事だが、それよりも楽しいと思えることをした方がいいのではないか。

 

このまま幸せだと思えないことをする意味はあるのか?

 

生まれたからには死が待っているし、いつそれが訪れるかわからない。

 

幸せを感じないまま死ぬのは嫌だ。

 

なんで私は生まれて来たのだろう。

 

何事にも理由があると言うが、私には何があると言うのか。

 

こんな何もできない私だけれど、生きていれば親が喜んでくれるから生まれて来たのかな。

 

私の生きる意味って・・・

 

結論が出るわけでもなく、こんなことを延々と考える。

 

決して自殺願望があるわけではない。

 

人生の半分が鬱状態であるがために、楽しいと思えることが少ないからこそ、生きる意味や自分にとっての幸せを見出したいのかもしれない。


イライラ爆発からの涙

毎日のようにシェアハウスのキッチンで、彼とフランス系カナダ人の女の子がフランス語で楽しそうに長話をしていた。

 

ある日のこと、私は2人の側でランチを食べていた。

 

2人はまるで私が存在していないかのように、フランス語で話し続ける。

 

また疎外感を感じた。

 

イライラする。

 

今まで我慢していた感情がどっと込み上げてきた。

 

私「何を言っているかわからないから英語ではなして!」

 

珍しく私が強く言葉を発したので、彼は少し驚く。

 

彼「あー、今はこんな話をしてたんだよ。」

 

カナダ人「そーなのよ。」

 

英語で説明してくれたのはいいが、しばらくしないうちにフランス語に戻る。

 

私はまたイライラする。

 

だがこれ以上彼らに対して何かを言う元気はなくなった。

 

そして孤独を感じて悲しくなる

 

ただ仲間に入りたかった。

 

私の存在を無視しないでほしかった。

 

鬱の波が来て、目が次第に潤み出す。

 

ここで泣きたくない!

 

でも涙溢れて来るのを止められなかった

 

泣いている姿を見られないように、そっと自分の部屋に戻る。

 

ベッドに倒れこんで泣く。

 

その間も隣のキッチンから2人の楽しそうな声が聞こえて来る。

 

なかなか泣き止むことができなかった。

 

 

 

彼は私の変化に気がつかなかった。

 

そして私がこんなにも深く悩んでいることも知らなかった。

 

思ったことを口に出して言わないと、日本人のように空気を読んではくれないので、自分の気持ちが伝わらない。

 

私もこんな性格だと彼に嫌われるのかもしれないと思って、あまり自己主張しなかったし、悩みについてほとんど話さなかった。

 

鬱、孤独、HSPの性格、自己主張しないことが負のスパイラルとなって、私の悩みはもっと深くなっていった。